私達は当初、敦煌からハミを経由してトルファン(吐魯番)に行く予定でしたが、列車の指定券が買えず、空路ウルムチ(烏魯木斉)に向かい、ウルムチで車をチャーターしてトルファンに入りました。 ウルムチからトルファンまで182キロありますが、高速道路(烏哈公路=ウルムチとハミを結ぶ道路)でつながっており、所要時間はわずか1時間半程度で到着しました。トルファン市の北側にあたる高速道路沿いの砂漠には、油田地帯が広がっていました。トルファン盆地の海抜は、ほぼ0メートルで、中国で最も海抜が低く且つ最も暑い所として知られています。夏の昼間の気温は摂氏40度を超え「火州」とも呼ばれています。平均年間雨量は僅かに20mm、仮に雨が降っても途中で蒸発して地上まで届かないと言われるほどの乾燥地帯です。市の人口は240万人で、その70%がウイグル族です。シルクロードの時代、天山南路と天山北路の分岐点に当り、現在は蘭新線と南疆線の分岐点に当り、昔も今も交通の要衝となっています。市の中心は道路が広く近代的な美しい街です。私達は完成して間もない西州大酒店に宿泊する事にしました。昼間は暑くて人影もまばらですが、陽が沈む頃になると大勢の人が繰り出して夜中まで賑わいます。街中にはいたる所に露天や屋台が出てきます。それでは、街角のスナップ写真を紹介しましょう。トルファン名物ロバの「タクシー」・屋台のシシカバ・坎尓井(カレーズ)のある風景・朝の市場・ウイグルの街角風景・ナンを買う・街中のとあるレストランで・トルファンの夕焼け。 火焔山ー西遊記にも登場する炎の山「火焔山」はトルファン盆地の中央に、東西100キロにわたって横たわっています。平均海抜は500m、一番高い所でも800m程度しかありませんが、山は赤色砂岩、硬岩、泥岩からできており、日光に照らされると、山全体が赤い炎で燃え盛っているように見えます。昼間の地表気温は80度にもなり、あまりの暑さで山肌には一本の草木もありません。私達がビデオを撮影していた時、地面に付いていた膝が火傷をしてしまった程でした。(左のビデオボタンから「火焔山」とその中にある「ベゼクリク千仏洞」へ至る風景をビデオ映像でご覧いただけます) ベゼクリク千仏洞は、市から50キロほどの、火焔山の中腹にあるムルトク河の断崖に造られています。市内を出てから烏哈公路を東に走り、途中から火焔山の中を縦断する道路に入ります。車窓には、そそり立つ真っ赤な断崖が迫ってきます。まもなく正面に曲線の美しい真っ赤な丘が見えてきます。ベゼクリク千仏洞の入り口です。
ボタンをクリックするとビデオ映像がご覧頂けます。
千仏洞は、唐代に栄えていた高昌王国によって造営が始まりました。現存する石窟は77窟あり、残っている壁画の総面積は1200平方メートルです。しかし後に、偶像崇拝を否定するイスラム教徒による破壊や外国人探検隊に持ち去られる等で破壊が進みました。見学できるのは8窟のみですが、注目されるのは壁画に描かれた仏像の目の大半が、えぐり取られている事です。11世紀頃トルファンに浸透してきたイスラム教徒によって破壊されたものです。複雑な歴史の背景が垣間見られます。ベゼクリク千仏洞で有名なのは、15号窟の「本行教変図」で、釈迦が生まれる前世の仏「過去仏」とその隣に描かれた「過去仏に誓願する前世の釈迦図」です。現在は、ロシアのエルミタール美術館に保管されており、現物を見る事はできませんが、ガイドブックに写真が載っています。ガイドブック(1部60元)は事務所で売っています。日本語版もあります。 高昌故城ートルファン盆地の東南に位置し、市から40キロの所にあります。紀元前1世紀頃、前漢の開墾部隊によって築造されました。唐代には、独立した高昌王国として西域の政治経済文化の中心として繁栄しました。西方を目指した玄奘三蔵もこの地に2ヶ月程滞在したとされています。広大な故城の総面積は20万平方mにおよび、現在も周囲を囲む城壁の大部分が残りその面影を留めています。故城は外城と内城に囲まれ、中央に宮城を配置していたと言う事ですが、城内の建物は崩壊して、ほとんど見分けが付きません。外城の南西部には大仏寺(全景)があり、インド様式の山門や講経堂、大殿などが、かなり良い状態で残っています。東側にある入口から大仏寺までは2〜3キロ離れており、ロバの乗合馬車が走っています。私達は往路だけ馬車にのり、復路は場内を散策しながら徒歩で戻る事にしました。かなりの暑さですから、サングラスと水は絶対必要です。(忘れた人は、入口の土産屋でも売っていますよ) 交河故城ートルファン盆地の西に位置し、市から13キロの所にあります。交差する二本のアルナイズ河に挟まれた中洲の全体が古城となっています。中洲の全長は1.6キロ、最大幅300mもあります。四方は高さ30m程もある断崖絶壁となっており、砂漠に浮かぶ巨大な軍艦といった所です。地元では「崖児城」とも呼ばれています。唐代(618〜907年)に造られたもので、当時7千人以上が住んでいたとされる城内は、北側に寺院地区、南側に民居地区が配置され、中央に役所地区が設けられていました。
------------------------------------------------------------- [特記事項] トルファン駅からの列車事情;トルファン駅は市の北60キロと離れており道路事情も良くありません。タクシーでも1時間半は見た方が良いでしょう。また、同駅からの始発列車はありませんので、寝台特急(軟臥)など指定切符の入手はまず難しいでしょう。ウルムチやハミに行くなら、公共バスや車をチャーターする方が良いでしょう。その他の場所に行くなら、とにかくウルムチに出るのが一番です。 屋台や市場など賑わいの中心は;高昌路から老城路の周辺に多く集まっています。 吐魯番大劇院;入場料は食事込みで168元でした。ホテルのフロントで予め予約してもらって、料金も確認してから行った方が良いでしょう。車をチャーターしている場合は、車の運転手に頼んでも良いです。[所在地]老城路864号 蘭新賓館院内 料理の特徴;民族毎に多少の違いはありますが、一般的にはイスラム料理で、牛羊肉を中心とした辛い味が中心です。主食はナンや麺など。乳製品が多く、お茶はミルク茶といった具合です。 代表的な料理;羊肉串(シシカバ=羊肉の串焼き)・小羊の丸焼き・涼麺(黄麺)・ナン(パンのようなもの) 特産品;種無し白葡萄・干し葡萄・スイカ・ハミ瓜・香瓜 少数民族;ウイグル族が70%を占める。
このページに関するご感想やご意見などを、お待ちしています。
.R.HORI & Y.FUNATSU 公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01