堀・船津の中国旅行記
新彊ウイグル自治区
パミール高原
〜タシュルガン

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2006年の私達のシルクロード後半の旅は、ウルムチから南彊鉄道で天山山脈を越えコルラに向かう所から始まりました。コルラで車と運転手を調達し、クチャ〜砂漠公路縦断〜ニヤ〜ホータン〜ヤルカンド〜カシュガル〜タシュクルガン〜カシュガル〜アクス〜クチャを経由して、コルラに戻る(左の地図参照)という、タクラマカン砂漠をほぼ半周する10日間4000キロ走破コースです。このページでは「パミール高原〜タシュクルガン」について書く事にします。
いよいよ、今回の旅行のクライマックス「パミール高原」に向かう朝を迎えました。カシュガルを出発して、標高4600mのスバシ峠を越え、国境の町タシュクルガンまで行き、翌日同じ道を戻ってくるという、往復700キロ、1泊2日のコースです
。まず、書き始める前にパミール高原の概要を書いておきます。パミール高原は、北に天山、西にヒンドゥークシ、東に崑崙、南にカラコルム、という四大山脈が交わる所にある、平均標高5000mの大高原です。パミールが「世界の屋根」と呼ばれる事もうなずけます。そして中国、パキスタンのカシミール地方、アフガニスタン、タジキスタン の国境が複雑に入り組む国境地帯でもあります。シルクロードの時代、四大山脈が連なる中央アジアを通って東西を行き来するには、ここを通るしか道がなかったのです。当時は自分の足を頼りに、3000mの大地に上り、4000m、5000mの幾つもの峠を越えて行かねばならなかった事でしょう。
中巴公路カラコルム・ハイウェイーパミール高原越えの現在の道が、パキスタンの呼び名で「カラコルム・ハイウェイ」であり、中国の呼び名で「中巴公路」(国道314号線)なのです。この道路は、中国のカシュガルとパキスタンの副首都ラワールピンディーを結んでいる総延長約1200キロ(うち中国側が約500キロ)に及ぶ道路です。ちなみに、国道314号線は、カシュガルから更に東に延びて、タクラマカン砂漠の北を通る「西域北道」となり、アクス、クチャ、コルラへと繋がっています。主要地点の凡その標高は次の通りです。カシュガル=1300m・カラクリ湖=3600m・スバシ峠=4600m・タシュクルガン市=3100m・タシュクルガン自治県全体の平均標高=4000m・フンジュラブ峠(国境)=4700。
事前準備ー出発前に必要な準備を書いておきます。(1)国境地帯のため何度か検問があり、外国人は「外国人旅行証
」を提示する必要があります。これはカシュガルの旅行社で取得できます。(2)個人差がありますが標高3000m位から高山病の症状が出る人もいますから、酸素ボンベを用意しておきましょう。これも旅行社で手配できます。(3)夏でも雪が降る事があります。又ホテル内でも夜はかなり冷えますから、厚手の下着などの防寒対策が必要です。(4)カシュガルを出てからの両替はかなり難しいようです。必要なお金はカシュガルのホテルで両替しておいた方が無難です。

ボタンをクリックすると「パミール高原を行く」のビデオ映像をご覧頂けます。

カシュガルを出発し、中巴公路に入りました。程なく最初の検問がありました。道も平坦で快適なドライブが1時間ほど続きます。やがて赤茶けた山肌が姿を見せはじめます。公路はガイズ河の右岸に沿って徐々に高度が上っていきます
ガイズ検査場ーカシュガルとクズロスキルギス自治州の行政区境に検問所があります。車を降りて検問所の建物に入り、外国人旅行証
とパスポートのチェックがあります。ここを過ぎると、いよいよ高原地帯です。と言っても日本の山岳道路の様に、ぐるぐる回りながら高度を上げて行く訳ではありません。ほぼ直線的に突っ走って高度を上げていくのです。仏典を求めてインドへ向かった玄奘三蔵は、何日いや何年かかってここを越えたのでしょうか。雪山がだんだん大きく見えるようになってきます。この辺りには、5〜6000m級の山は、星の数ほどもあり、名前すら無いといいます。
ブロンクリ湖ーカシュガルから200キロ程の地点
で、白い山肌の山とその麓に広がる湖が見えてきました。空の青さに山肌の白さが映えて、なんとも幻想的な景色です。標高は3200m、気温も10度と、カシュガルから20度以上も下がりました。ブロンクリ湖を過ぎた辺りからだんだん息苦しくなってきました。天候も悪くなってきました
カラクリ(拉庫里)湖ー標高3600m付近に達し、朱色の門がありました
。カラクリ湖です。この辺りで唯一のレストランがあります。休憩を兼ねて昼食をとる事にしました。広場には観光客目当ての露天が並んでいます。到着後まもなく雪が降り始め、これからの道程の険しさを、連想させました。30分ほどで雲が切れ、左に標高7719mのコングール山、右に標高7546mのムズターグ・アタ山がその勇姿を現しました。
カラクリ湖を出発ーここから、目指すタシュクルガンの町は、標高7509mのムズターグ・アタ山の反対側にありますから、この山をグルッと迂回するように回り込んで、途中4600mのスバシ峠を越えることになります。キルギス族のゲルや羊の放牧を眺めながら
、雄大な高原道路を走り続けます。天候も回復し、ムズターグ・アタ山が間近に迫ってきます。この山には10数本の氷河があり、老人の白髪のように見える事から「氷河の父」と呼ばれています。私達も車をとめて、その美しい氷河に見とれてしまいました。目の前の草原に、タルバガン(リス科マーモット属)が現れ、私達を歓迎しているかのようでした。


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スパシ峠ーまもなく道路は未舗装となり、急な坂道に差し掛かります。いよいよ呼吸が苦しくなってきます。前方に青い看板が見えてきす。ここが、タシュクルガン・タジク(塔什庫爾干塔吉克)自治県との県境で、標高4600mのスバシ峠です。峠付近の眺めの素晴らしさは写真で見て下さい。私達は「ヤッター」と思わず拍手です。4600mのスバシ峠を越えてからは下りの道となりますが、悪路が続く事や工事による迂回があったりで、タシュクルガンの町まで、更に4時間も走り続ける事となりました。タシュクルガンの町に着いたのは午後8時過ぎで、カシュガルを出発してから、実に10時間も経っていました。パミール高原の巨大さを、つくづくと思い知らされた一日でした。夕暮れせまる周囲の山々が、私達の疲れをいやしてくれました。
タシュクルガン・タジク(塔什庫爾干塔吉克)自治県は、カシュガル地区の自治県の1つで、パミール高原の東部に位置しています。また、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン等に国境を接しており、タシュクルガンに入る前に検問があったり、街中の警備にも厳しさを感じます
。人口は僅か27000人で、その84%をタジク族が占めています(1995年データから)。自治県には東パミールの三大高峰(世界第2の高峰チョゴリ山=8611m、ムスターグ・アタ山=7546m、コングル山=7719m)が連なり、平均の標高は4000mを越えます。
タシュクルガンの街は小さく歩いて一回り出来ます。ポプラ並木が美しい塔什庫爾干路
がメインストリートで、私達が泊まった交通賓館など数軒のホテルがあります。少し歩くと商店が並んでる道路があって、その先にモニュメントが建っています。独特の民族衣装を纏った女性達や、街の角々に建つ石の彫刻などが、周囲の山々とあいまって、シルクロードの雰囲気をかもしだしています
石頭城ータシュクルガンは「石の城」という意味で、その象徴となるのが石頭城です。唐代に栄えた喝盤陀国(かつばんだ)国の城跡、又は唐代の葱嶺守捉城跡ではないかとされています。街外れの小高い丘の上にあり、高さ5m周囲約1.3キロ四方の城跡が残っています
。城跡の上に立つと、小さなタシュクルガンの町と、周囲に広がる雄大な山並みが一望できます。東側には美しい草原が広がっていました
タシュクルガンから、数十キロも進むと、もうパキスタンとの国境フンジュラブ峠です。私達は、国境の街タシュクルガンを後に、再び中巴公路を通って、カシュガルへの帰途につきました。この続きは「カシュガル〜アクス」のページをご覧ください。


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[特記事項]

その他の見所ー特になし
タシュクルガンのホテル事情ー星が付いているホテルありませんが、私達が泊まった
交通賓館の他、金税大酒店等、数軒の外国人が宿泊できるホテルがあります。水周りや冷暖房などの設備は、あまりよくありません。ホテルのレストランは現地の料理が中心です。トイレットペーパーなど備品の備えも十分とはいえませんが、水・ちり紙・石鹸など簡単なものは、街中の商店で手に入ります。
名物・美味い物ー 特になし


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01