堀・船津の中国旅行記
新彊ウイグル自治区
南彊鉄道〜コルラ

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2006年の私達のシルクロード後半の旅は、ウルムチから南彊鉄道で天山山脈を越えコルラに向かう所から始まりました。コルラで車と運転手を調達し、クチャ〜砂漠公路縦断〜ニヤ〜ホータン〜ヤルカンド〜カシュガル〜タシュクルガン〜カシュガル〜アクス〜クチャを経由して、コルラに戻る(左の地図参照)という、タクラマカン砂漠をほぼ半周する10日間4000キロ走破コースです。このページでは、天山越えとコルラ市について書く事にし、以降はこの順路にそって、旅行記を書いていく事とします。
南彊鉄道は正確には、東のトルファン(吐魯番)から、西のカシュガル市までの全長1451キロの路線です。この内私達が乗ったトルファンからコルラまでの区間(全長476キロ)が最初に完成(1984年)し営業が始まりました。
天山山脈越えーまず私達が乗ったウルムチ発アクス行き5806/5807号列車(軟座快速臥(特急グリーン寝台
)で232元(約3400円)06年6月時点)の時間を紹介しましょう。ウルムチ駅発22:37→トルファン1:02→魚儿溝3:27→巴倫台7:31→和静8:38→焉耆9:09→コルラ着9:59(→アクス着17:32)。
22時37分ウルムチ駅
を出発、夜明けの天山越えに備えて早速就寝する事にしました。魚儿溝を過ぎて間もなく空が白み始めました。天山山脈の白い嶺が迫っていました。列車は千分の十八の勾配もあるという急勾配を登るため、線路はほとんどループ式になっています。カルコー(夏璽溝)トンネルなど29のトンネルをくぐり、36の鉄橋を渡って天山山脈を走り続けます。最後のトンネルを抜けると、一気に視界が開けます。烏拉斯台(うらすだい)渓谷です。時間は6時過ぎですが朝日がまぶしく周辺の景色を照らします。巴倫台駅〜和静駅と下り勾配の線路を走り続けると、雄大な平原が待っていました。エンギ(焉耆)平原です。天山山脈と崑崙山脈の間に広がる世界最大の盆地「タリム盆地」の一角をなす平原です。ポプラの木々の間から遠くに天山山脈が望めます。間もなく砂漠の向こうに高層ビル群が見えてきます。コルラ市です。列車は9:59定刻にコルラ駅に到着しました。
コルラ市ー万年雪の天山山脈を越え、最初にたどり着く町 それがコルラ市です。北彊と南彊をつなぐ要の位置にあり、古くはタクラマカン砂漠周辺に点在したオアシス国家を結ぶシルクロードの主要な都市となっていました。

ボタンをクリックすると「南彊鉄道ー天山を越える」のビデオ映像がご覧頂けます。

近年は、タクラマカン砂漠で産出される石油や天然ガスの開発と集積基地として、急速に近代化が進んできています。総人口は38万人で、漢族がその70%を占めます。町は、孔雀(コンチェ)河を境に新市街地区と、旧市街地区に分かれています。新市街地区には、いたる所に花と緑があふれ、砂漠の町とは思えない美しい町です。特に人民東路と人民西路の交差する辺りが中心部でホテルやデパート等が集まっています。旧市街地区は、イスラム色が濃い町となっています。町中には幾つものモスクが建ち、団結路市場周辺では、ウイグル族や回族の人々の暮らしを垣間見ることが出来ます
鉄門関はコルラ市から約7キロ、孔雀河の上流にある消峡谷の中にあります
(資料館の絵から)。五胡十六国時代、西域との軍事上の最前線基地として築城されたもので、シルクロードの旅人は、この鉄門関を通って西域を目指したと言われています。現在ある関城の城楼は1989年に修復されたものです。城楼の前に資料館があり(中国語ですがガイド嬢もいます)当時の様子をうかがい知る事が出来ます
私達も、ここから西方を目指すこととし、ここコルラで、車と運転手をチャーター
しました。運転手はウイグル族でノッポの依明江(イ・ミンジャン)さんです。その他にコルラからクチャまで、可愛いガイドの范芸燕(ホワン)小姐が同行してくれました。
10日間4000キロ走破の旅の始まりーいよいよこれから、タクラマカン砂漠を、ほぼ4分の3周する、10日間の旅の始まりです。タクラマカン砂漠のほぼ中央を、北から南へ縦断し、最西端は、パキスタンとの国境の街、タシュクルガン(塔什庫爾干)まで、約4000キロを走破する計画です。
西域北道ーはタクラカン砂漠の北を通る道をさします。その主要な道路が国道314号線です。コルラから最西端の街、タシュクルガンまでつながっています。私達はこの国道314号線を西に向けてスタートしました
。コルラを出ると車は一気にスピードを上げ、広大なゴビ灘(砂と草がまばらに生える砂漠の総称)を突っ走ります。周りには幾つもの竜巻が巻き起こり砂漠に入ったことを実感します。地平線に見えていた天山山脈も視界から姿を消し、周囲は360度遮るもののない砂漠の真っ只中を走り続けます。広大なゴビ灘を3時間近く走り続けるとやがて胡楊樹(ハコヤナギの木)が目立つようになります。


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新疆塔里木胡楊林自然保護区ーコルラからクチャにかけて流れる塔里木(タリム)川流域には胡楊樹が群生しており、2005年にはこの辺り一帯が中国の国家級自然保護区に指定されました。その広さは40万ヘクタールにも上り、世界最大の胡楊原生林です。その中心をなすのが輪台胡楊公園です。コルラから180キロほど走った所に砂漠公路に入る輪台交差点があります。この輪台交差点を左折して、砂漠公路を南下すると間もなく輪台胡楊公園の入り口に着きます。緑鮮やかな胡楊の大木が辺り一面に見られます。その中に一際目立つ1本の大木があります。世界最古の老木と言われる樹齢1600年の胡楊樹です。胡楊は300万年〜600万年前から生息していたとされており、乾燥や気候の変動にも強く、極めて強い生命力を備えています。胡楊の生命力の強さを称して「樹齢は1000年を越え、枯れても1000年は倒れず、倒れても1000年は腐らず」と称えられています。また、胡楊樹は秋に黄金色に黄葉し、塔里木川を金色にそめるそうです。
輪台胡楊公園は、とてつもなく広大な公園なので徒歩で見て歩くという訳にはいきません。公園内の概要はこの地図
で確認してください。入門ゲートで入場料を支払うと公園の専属ガイドが私達の車に同乗して公園内を案内してくれる事になります。ゲートを出ると美しい胡楊樹の林の中を舗装された道路が延々と続きます。10〜20キロも走ったでしょうか、やっと公園の中央付近にある遊覧小鉄道の駅に着きました。私達が行った時は丁度運休中でしたから、専属ガイドの案内で線路伝いに歩く事としました。とは言っても徒歩で一週回るのは無理だという事で、2キロほど先にある沼地まで行く事にしました。世界第二の砂漠の中の世界最大の胡楊原生林、更にその中に鏡のように静かに広がる広大な沼地・・。今にも恐竜が出てきそうな、そんな太古の世界に入りこんだ感じがしました
クチャへー輪台胡楊公園を後に、更に西へ向かいました。炎を上げる巨大な石油関連施設群
に、砂漠の地下に眠る膨大な石油資源が眠っている事を実感します。広大なゴビ灘を更に約100キロも走り続けた私達は、天山南路最大のオアシス都市「クチャ」(庫車)に到着(19時頃)しました。
(この続きは「クチャ」のページをご覧ください)


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[特記事項]

その他の見所ーバーインゴルモンゴル自治州博物館・ボステン湖(広さは琵琶湖の1.5倍、中国最大の淡水湖)とその一部をなす蓮花湖
コルラ空港ーは、市の南西5キロほどの所にあります。国内便しか飛んでいない軍民共用空港で空港内外での写真撮影は禁止となっています。人民解放軍の兵士が見張っていますから注意が必要です。飛行機はフランス・アエロスパシアル社製のターボプロップ機ATR-72
しか飛んでないようでした。(ちなみにこの飛行機の写真はウルムチ空港到着後に撮影したものです)。冬場は飛行機が飛んでいないとの話も聞きました。ローカル線なので、利用する場合は事前にフライト時間の確認や予約もしておく方が良いと思います。
名物・美味い物など=洋梨
の産地で梨城の名が有るほど。羊の火鍋店(山盛りの羊のガラが鍋に入っています。まずこれを前菜として食べ尽くしてから肉や野菜等を入れます。肉好きにはこたえられませんが、美味いかどうかは個人差がありますからねー?)
車と運転手のチャーターー私達がチャーターした車は、12人乗りの商用バンタイプ
でした。チャーター料金は、運転手・ガス代・道路通行料を含めて、1日600元(10日間で6000元)でした。但し、この金額はチャーター期間や時期など諸条件によってかなりの違いがあります。1日600元は最低に近い料金ではないかと思われます。


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01