堀・船津の中国旅行記
新彊ウイグル自治区
クチャ

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2006年の私達のシルクロード後半の旅は、ウルムチから南彊鉄道で天山山脈を越えコルラに向かう所から始まりました。コルラで車と運転手を調達し、クチャ〜砂漠公路縦断〜ニヤ〜ホータン〜ヤルカンド〜カシュガル〜タシュクルガン〜カシュガル〜アクス〜クチャを経由して、コルラに戻る(左の地図参照)という、タクラマカン砂漠をほぼ半周する10日間4000キロ走破コースです。このページでは「クチャ」について書く事にします。
<クチャの概要>鉄門関(コルラ)を出てから西へ約300キロ、私達は天山南路最大のオアシス都市「クチャ」(庫車)に到着(19時頃)しました。この時間は北京時間で、新彊のローカル時間(特記事項参照)では17時です。まだ明るい町外れの市場は、ウイグルの人々で賑わっていました
。シルクロードの時代、クチャは天山南路の要衝にあり、玄奘三蔵もインドに向かう途中この地に立ち寄ったとされています。市の西側にあるバザール街付近を歩くと、ロバが引く「庫車バス」、シシカバを焼く屋台、ナンを売る店など、ウイグル族の西洋的な顔立ちとあいまって、シルクロードの雰囲気をかもし出しています。
庫車大寺ークチャの人口は40万人ですが、その大多数をウイグル族が占めるイスラム色の強い街です。その象徴と言えるのが庫車大寺
です。市の西側のバザール街付近にあります。16世紀に新彊イスラム教依禅派の始祖イスハク・アリがクチャ滞在中に創建したと言われる新彊で2番目に大きなモスク(1900年代に再建)で、数千人を収容できる礼拝堂、高さ19.3mのミナレット(尖塔)などがあります。
亀茲国ーしかし、その昔クチャには「白い民」と呼ばれる白人系の人々が築いた「亀茲国」という一大仏教王国がありました。4世紀頃「色即是空」で知られる高僧クマラジーバ(鳩摩羅什)
が、初めて仏典を漢訳して東方に伝えたのもこの地でした。亀茲楽と呼ぱれる歌舞や、郊外に点在する数多くの仏教遺跡は、亀茲国の面影を今に伝えています。(左のビデオボタンから、亀茲楽歌舞をビデオ映像でご覧いただけます)
<クチャ郊外の見所>それでは、これからクチャの郊外をご案内しましょう。見所が多いので、凡その位置を中段右枠に図示しておきました。クチャの北には天山山脈が横たわっていますが、クチャと天山山脈の間には、チャールタグ(ウイグル語で不毛の山の意)
と呼ばれる不毛の大地が延々と連なっています。クチャ郊外に点在する多くの仏教遺跡は、このチャールタグの中にあります。

ボタンをクリックすると亀茲楽(王府庫車民族歌舞団)のビデオ映像がご覧頂けます。

塩水渓谷ークチャから北へ伸びる国道(217号線)があります。チャールタグを通り抜け、天山山脈を突切り、天山北路側に通ずる国道です。この国道を10キロほど北上すると、土地の人たちが「塩の水の川」と呼ぶ、塩水渓谷があります。この渓谷には殆ど水はなく、河底には結晶した塩が白く見えます。両岸には風化で出来た独特地形が、この土地の厳しい環境を表しています。
クズルガハ蜂火台(克孜爾乃小哈蜂火台)−塩水渓谷から程近い平たい台地
に、悲劇の伝説が残る「クズルガハ蜂火台」あります。その昔、亀茲国の王は年老いてから授かった、珠のように美しい王女をちょう愛していました。ある日占い師に「この娘は100日以内に死ぬであろう」と宣告されてしまった国王は、この地に土の塔を築いて王女を隠すことにしました。しかし1OO日目に国王が贈ったリンゴを食べ、王女は死んでしまったのです。新彊地区最大の峰火台跡で、東西6m、南北4.5mの土台に、高さ約13mの土塔が残っています。烽火台の左側は切り立った断崖になっており、干し上がった雄大な大河の眺めは壮観です。入門ゲート等の建物は一切」ありませんが、おじさんがしっかりと入門費を徴収しています
クズルガハ千仏洞(克孜爾乃小哈千佛洞)ー蜂火台から、岩ばかりでゴツゴツした渓谷の道を10分ほども車で走ると
広い谷間にでます。ここがクズルガハ千仏洞です。塩水渓谷の岸壁にある石窟で、漢代から唐代にかけて合計46窟が造られました。しかし戦争などで破壊が進み、不完全ながら壁画が残っているものは10窟程度しかないそうです。窟の入り口には鍵がかかっていますが、扉の窓から中の壁画が見えます。ただ中が暗いので、懐中電灯を用意しておくと良いです。入り口には管理小屋は有りましたが、管理人は常駐してないようでした。後で聞いた話ですが、石窟の中を見たい時は、キジル千仏洞で申し込んで、ガイドと一緒に来ることになるという事でした。
スバシ故城(蘇巴什故城)
ークチャの北、チョルターグ山の南麓に創建された仏教遺跡で、クチャ河を挟んで西寺区と東寺区に分かれています。玄装の「大唐西域記」に登場する亀茲国最大の寺院「アーシュチャリア寺」だと考えられています。


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東西寺区とも、東西150m南北600m程の広さで、その中に遺跡が点在しています。旅行社が案内するのは一般的には西寺区です。西寺区には高さ18mの仏塔があり、塔の上にも登る事が出来ます。塔の上からは対岸の東寺区も一望できます。その他に僧坊や殿堂等多くの遺跡が残っています。西寺区を河の方に歩いて行くと、クチャ河の向こうに東寺区の仏塔なども見えます。クチャ河と言っても、河は大部分が干上がっています。僅かに端の方だけ水が流れている程度です。時間があれば東寺区まで歩いていけます。入門票を買う管理小屋は西寺区だけにあります。
キジル千仏洞(克孜爾千佛洞)
ー中国四代石窟の一つで、クチャから北西へ70kmのバイチョン(拝城)県にあります。石窟はムザト河北岸の40mの断崖に東西2キロに渡って創られています。3〜4世紀頃、クチャからバイチョンにかけての一帯は、亀茲国と言う一大仏教王国が栄えており、その亀茲国を代表する仏教遺跡です。その為かどうかは分かりませんが「色即是空」で知られる高僧クマラジーバ(鳩摩羅什)の像が、正面広場に建てられています。(ガイドの話では、キジル千仏洞とクマラジーバとは直接は関係はないようでした) 石窟の掘削は3世紀(後漢末期)に始まり、6〜7世紀に最盛期を迎えました。発見されている石窟の数は236窟で、内70窟に壁画が残存しています。その壁画の総面積は1万平方mに上るそうです。クチャを代表する遺跡だけあって、周辺の遺跡に比べ、遺跡全体の整備が行き届いています。しかし問題なのは、見学費用がとてつもなく高い事です。まず入場料として100元を支払います。窟を見学するには、管理事務所で見学を申し込みます。通常の窟を(5窟程度)案内してもらうだけで、200元が必要です。更に特別窟を見たければ、窟によって200元〜1000元が加算されていきます。また、カメラや手荷物などは全て管理事務所に預けねばなりませんから、先に預けると、窟の内外を問わず全く写真撮影ができません。周辺の写真だけでも撮りたければ、窟の見学を申し込む前に済ませた方が良さそうです。
明日は、いよいよタクラマカン砂漠縦断へ挑戦です。ホテル(庫車飯店
)でしっかりと夕食をとり明日に備える事としました。この続きは「砂漠公路〜ニヤ」のページをご覧ください。

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[特記事項]

その他の見所ークチャ県歴史文物陳列館・亀茲古城(城壁の一部が残っているだけで見るべきものはありません)・天山神秘大峡谷・クムトラ千仏洞(庫木吐拉千佛洞)・千涙泉(キジル千仏洞の中の渓谷にあります)
スバシ故城についてークチャ河を挟んで西寺区と東寺区に分かれていますが、旅行社が案内するの通常は西寺区だけです。東寺区を見たければ、事前に旅行社に交渉するか、自分で歩いて行くしかありません。
名物・美味い物ー庫車は天山の恵みを受け、杏(アンズ)
等の果物が豊富です。名前不明ですが白いイチゴが木になっているような果物がありました。ガイドさんがこの畑に連れて行ってくれましたが、とても甘くてジューシーでした。
新彊のローカル時間ー中国国内には時差がありません。全国北京時間が標準時間で日本との時差は1時間です。その為、中国の最西端に位置する新彊ウイグル自治区では、北京時間と2時間の時差(日本とは3時間)がある新彊時間が広く使われています。日本との時差で比較すると、インドが3時間半、パキスタンが4時間ですら、新彊時間が使われるのも納得です。
庫車空港ー市内から東4キロほどの所にあります。リムジンバスはありません。ローカル空港でウルムチ便しかありません。
庫車火車駅ー南彊鉄道の駅で、市内から南9キロほどの所にあります。ウルムチやカシュガル方面に向かう列車があります。


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01