2006年の私達のシルクロード後半の旅は、ウルムチから南彊鉄道で天山山脈を越えコルラに向かう所から始まりました。コルラで車と運転手を調達し、クチャ〜砂漠公路縦断〜ニヤ〜ホータン〜ヤルカンド〜カシュガル〜タシュクルガン〜カシュガル〜アクス〜クチャを経由して、コルラに戻る(左の地図参照)という、タクラマカン砂漠をほぼ半周する10日間4000キロ走破コースです。このページでは「カシュガル〜アクス」について書く事にします。
インドに仏典を求めた玄奘三蔵は、タシュクルガンに一ヶ月滞在した後、カシュガルを訪れています。当時は、仏教王国としてタリム盆地を支配していた疏勒国の首都でした。シルクロードの時代、中央アジアと中国を結ぶ交通の要衝として、またタクラマカン砂漠の北を通る西域北道と、南を通る西域南道が合流する場所として、シルクロードの要の位置にありました。私達もカシュガル市内を散策してみる事にしました。
カシュガル市は、パミール高原の北、標高1300mの所に位置しています。カシュガル地区の首府で、1999年12月に南彊鉄道 が開通し、急速に都市化が進んでいます。市の人口は、37万人で、その80%をウイグル族などイスラム系の少数民族が占めています。古来、タリム盆地周辺には「白い民」と呼ばれる白人系(インドやヨーロッパ等)の人々が多く、街を歩いても中央アジア系の顔立ちが目立ちます 。特に、人民東路の北側地区は、ウイグル族が多く住んでおり、中国の他の都市とは全く異なった雰囲気があります。
エイティガール寺院 は、中国最大のイスラム寺院で、市の中心にあります。寺院前には広大な広場 があって、グルバン節等の主要なイスラムの祭日には、数万人の信者で埋め尽くされるそうです。1426年に建立されたイスラムの古建築物で、左右のミナレット(塔)は18mの高さがあります 。中には、2600平方mの大きな礼拝殿 があり、一度に4000人が礼拝できるそうです 。礼拝所内に入ると、礼拝殿の天井の鮮やかな模様などを見る事が出来ます 。
香妃墓(アパク・ホージャ墓) は、市の北東5キロ程の所にあります。乾隆帝の愛妃で、いつも身体から良い香りを漂わせていた「香妃」の墓とされた時期があり、現在も香妃墓として親しまれています。しかし実際は、カシュガルの高名なイスラム宣教師アパク・ホージャとその一族70余名の陵墓ということです。1670年に創建され、以降何度か修復が行われています。壁面の緑のタイル やモザイク模様がすばらしい 。
盤嚢城 (仏教王国としてタリム盆地を支配していた疏勒国の宮殿があった所で、現在は、僅かに残っていた城壁跡の一部が復元 され、史跡公園の様になっています )
カシュガル高台民居(カシュガル老城) ー急速に都市化が進む中にあって、僅かに残されている古民居地区です。市東部の艾孜熱提路付近にあります。入り口 で入場料を支払うと、ガイド嬢が場内を案内してくれます 。場内は細い路地が迷路のようになっています 。民居の中も見る事が出来ます 。
バザール街ー日曜バサールは、艾孜熱提路の老城区付近一帯にあります。広い道路の両側 が大勢の人々で賑わっています 。
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