堀・船津の中国旅行記
新彊ウイグル自治区
砂漠公路
〜ニヤ

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2006年の私達のシルクロード後半の旅は、ウルムチから南彊鉄道で天山山脈を越えコルラに向かう所から始まりました。コルラで車と運転手を調達し、クチャ〜砂漠公路縦断〜ニヤ〜ホータン〜ヤルカンド〜カシュガル〜タシュクルガン〜カシュガル〜アクス〜クチャを経由して、コルラに戻る(左の地図参照)という、タクラマカン砂漠をほぼ半周する10日間4000キロ走破コースです。このページでは「砂漠公路〜ニヤ」について書く事にします。
砂漠公路とは、タクラマカン砂漠のほぼ真ん中を北から南へ縦断する全長522キロの道路です。この道路の南側の起点ゲートに、大理石の砂漠公路建設記念碑
が建っています。そこには中国語とウイグル語で、要旨次のような記述があります。「流動砂漠に建設された世界最長の公路である」「1991年10月に国家事業として認定し、以降17の科学技術研究部門と180人の科学者が携わり、多くの新規技術開発や研究を行った」「その結果1995年9月全長522キロ(うち流動砂漠446キロ)の道路が完成した」「この事によって、タリム盆地の油田の開発を可能とし、新彊地区の経済発展に寄与することができた」と。砂漠公路は、タリム盆地に眠る膨大な石油資源を開発すると言う、中国の命運をかけた国家的大プロジェクトだったのです。砂漠は岩石砂漠、礫砂漠、砂砂漠などに分類されますが、タクラマカン砂漠は砂砂漠に分類されます。砂砂漠は、細かい粒子状の砂が、風で移動し砂丘をつくり、その砂丘は絶えず姿を変え、美しい波紋を形成するのが特徴です。碑文はこの砂砂漠を「流動砂漠」と表現しているのです。その流動砂漠に中に公路を建設する事業は、公路を砂の猛威から如何に防ぐかにかかっていました。その決め手となったのが、全長522キロの公路の両側に作られたグリーンベルトでした。まず公路の両側50m程に葦で作ったという「方草格」を敷き詰め砂の動きを止め、更に道路内側から「タマリスク」「砂なつめ」「そうそう」の3種類の植物を植えグリーンベルトを作りました。正に現代の万里の長城と言った所です。(左のビデオボタンから、砂漠公路縦断の模様をご覧いただけます)
では、私達の砂漠縦断の旅を紹介しましょう。砂漠公路の途中にはホテルなどの宿泊施設は全くありませんから、一日で走りきるしかありません。私達はクチャから南のニヤ(民豊県尼雅)まで、約800キロを一気に走破する事としました
。朝食抜きで朝6時半ホテルを出発しました。国道314号線をコルラ方面に約100キロ(2時間)程戻ったところに輪台交差点があります。ここを右に曲がると砂漠公路への道が待っています。
砂漠公路入口には「塔里木砂漠公路」
の記念碑が建っており、砂漠公路の入口ゲ−トがあります。ここからは、しばらく胡楊の林が続きます。コルラからクチャに向かう途中で立ち寄った「新疆塔里木胡楊林自然保護区」の前を通り過ぎます。

ボタンをクリックすると砂漠公路縦断の模様をビデオ映像でご覧頂けます。

朝食ー大型トラックが沢山止まっている所に来ました。両側にはナンを売る店やウイグル人の食堂などが軒を連ねています。ここから中間点の「塔中」まで(約250キロ)何も無いので、私達もここで朝食にしました。朝食はポロ(新彊チャーハン)です。羊肉の味ご飯の上に羊の骨付き肉がドーンとのっています。入口には肉をとった後の骨が吊されています。気にする人は、食べた後で見た方が良いカモ。
タリム河とタリム大橋ー走り始めると直ぐにタリム大橋があります。タリム河
は全長2179キロの中国最大の内陸河川で、天山山脈に源を発しタクラマカン砂漠を西から東へ流れ、最後は砂漠の中で消えていきます。また夏のシーズンだけ、崑崙山脈の雪解け水がホータン河となって砂漠を北上し、タリム河に合流します。壮大な自然のロマンです。
管理小屋ータリム河を渡ると、胡楊樹が姿を消し砂漠の様相を見せ始めます
。左手に青色の小屋(001番)が見えてきます。約10キロ間隔に配置された管理小屋で、公路の端から順に番号が付してあります。全部で40数軒あります。管理小屋は、地下水を汲み上げるポンプ小屋で、小屋から伸びる黒い管がグリーンベルトの植物に水を供給しているのです。黒い管の周りでは水を飲みに来る動物の足跡や地下水の塩分(大昔は海だったという)が凝固した様子が見られます。
公路の中間点「塔中」ーいよいよ砂漠のど真ん中です
。高い所からは延々と続く砂漠公路が見渡せます。途中休憩を挟んで3時間あまり、やっと公路の中間点「塔中」に着きました(13時過ぎ)。ここから230キロ先の、南側の出口まで、また何もないのでガスと水の補給をしました。塔中には小綺麗なレストランもあるのですが、運転手君(ウイグル族)の信仰上の理由から、ここから10キロほど先にあるイスラム食堂で昼食をとる事にしました。道は塔中で左右に分かれています。左の道は塔中大油田がある街を経由して、西域南道の要衝チェルチェンに通じています。
イスラム食堂ー塔中を出て10キロ、やっと一軒のバラック小屋
がありました。運転手君が叫ぶ「ツーファン(食事)」。急に腹の虫がグーッ。では食堂を紹介しましょう。手洗器(泥水でも水は貴重です)・捨てられた羊の頭(自分の店で解体した羊の残骸)・昼食(ラグメンを食べた。やっぱり羊肉だよーん)・トイレ(外に木組みの構築物があった。ここに乗っかって下を見ると砂地に黒い塊が・・。砂漠では尿は直ぐ蒸発してしまう。糞はアッと言う間に乾燥してしまう。その内、風が自然に戻してくれるそうな。自然浄化トイレかな?)それでも、周辺の景色は抜群でした。植物群が育っており、タマリスクの花も咲いて綺麗でした。また、公路の両側には雄大な砂丘が広がっています


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砂漠公路出口ー塔中を過ぎると、だんだん辺りがモヤってきます。粒子の細かい砂が舞い上がって、スモッグのようになっているのです。偏西風の影響で、舞い上がった砂は東側に吹き溜まる形になるのです。ニヤ周辺では幾つもの古代遺跡が砂に埋もれていきました。ニヤ県境を過ぎるあたりからは、更に視界が悪くなってきました。「砂に埋もれた街ニヤ」が近い事を実感します。塔中から230キロ、かすむ視界の向こうに、南側の起点ゲートが見えてきました。大理石の砂漠公路建設記念碑と道路標識が立っています。ここから先は西域南道で国道315号線に入ります。この道路を東に向えば青海省の西蔵高原に達し、東に向かえばカシュガルに達します。1700年前、玄奘三蔵もインドの帰途この道をたどったとされています。
ニヤの街に入った
のは18時前、車の走行メータは800キロ近くにもなっていました。砂にかすんだニヤの町は、20年前のNHKのシルクロードに出てくるような街でした
ニヤは、人口わずか3万人で、砂漠の中に取り残されたような小さな町です。取り立てて見るべき観光資源もなく、ただ、粒子の細かい砂が、道路といわず
、ホテルの中や町の人々の生活の中にも、辺りかまわず入り込んでいました。空港も鉄道もないこの小さな町を訪れるのは、今でも容易ではなく、私達が外国人旅行者の姿を眼にすることはありませんでした。カメラを持って車から降りた私達を見つけた子供達は、この街でも明るく元気一杯でした。この街の中で唯一見逃せないのは、尼雅文物館です。周辺で発掘されたミイラなど、多くの出土品が展示されています。
精絶国の遺跡ーシルクロードの時代に西域36国の一つ「精絶(せいぜつ)国」という小さな王国が栄えていました。しかし4世紀頃、付近のケリヤ河が干上がり、精絶国は砂に埋もれてしまったとされています。この遺跡は、20世紀初めスタインによって、ニヤから70キロ北の砂漠の中で発見されました
。尼雅文物館で確認した所、現在立ち入り禁止になっているという事でしたが、私達はとにかく近くまででも行って見ることにしました。砂にかすむ太陽、道路を覆う砂、見渡す限りの砂の山、異様な光景の砂漠の道を2時間以上も走った所に、小さなオアシス村がありました。ポプラ並木の道路が一本あるだけの小さな村です。残念ながらここから先は通行止でした。私達はこの村の周辺を探検してみることにしました。そこは、砂漠に強いはずの胡陽の樹が、屍をさらすほど過酷な様相を呈していました。その中で、遺跡らしきものを発見した私達は消えさった「精絶国」の歴史の一部にふれた思いがしました。
ニヤを後にした私達は、西域南道をホータン(和田)へと向かいました。この続きは「ホータン〜ヤルカンド」のページをご覧ください。

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[特記事項]

便利グッズー重宝したのがお手拭タオル。水でぬらして車のクーラーで冷やすと気持ちいいですよ
。単調な道が続く砂漠では運転手君の眠気覚ましにも最適です。超級市場や商店で安く売っています。
尼雅文物館は、訪れる人が少ない為か、通常は鍵が掛かっています。とにかく文物館に行って誰か人が通りかかるまで辛抱強く待つ事です。人を見つけたら、身振り手振りで文物館を見学したいと伝えます
。この辺りで使われている言葉は新彊語で、北京語はほとんど通じないのです。上手く通じたら管理人のおばさん(写真の真ん中の人)に連絡を取ってくれますよ。この街の人達はほんとに親切でした。皆さん有難う。
ニヤのホテル事情ーニヤは現在は通過するだけの街になっているので、外国人が泊まれそうなホテルは、私達が泊まった尼雅公萬
(公萬=アパートの意味)と宝端賓館くらいしかありません。
名物・美味い物ー「ラグメン」
皿うどんに似ている。茹でうどんの上に具が乗っている。「ポロ」新疆チャーハン。羊の出汁で炊いた味付けご飯。共に庶民の一般的な食べもの。


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01