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堀・船津の中国旅行記
重慶市
三峡クルーズ乗船記

第一部-手続き等


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6月25日夕方、朝天門埠頭第3埠頭21:00出航の三峡下りクルーズ船に乗り込みました。乗船したクルーズ船は、5星級の藍鯨号で、重慶〜宜昌までの3泊4日のコースでした。その体験を2部構成で「三峡クルーズ乗船記」としてまとめています。第一部では、遊覧コース・乗船までの手続き・費用等の概要を中心に紹介しましたが、このページでは、第二部として実際に遊覧したコースに沿ってその内容を紹介します。
第1日目(乗船)−乗船指定時刻の18時から10分遅れで朝天門第3埠頭に着きました。窓口で遊船票を提示→保険料(2元)の請求が有ります→保険料支払い→乗船カードと保険の領収書をもらいます→入場口へ→手荷物検査→待合室へ、と進みます。待合室は長江の水面からかなり高い所にありますから、大型のリフトで下の桟橋まで下ります。埠頭にはたくさんの遊覧船が停泊していますから、係員の案内に従って遊覧船に乗船します。
乗船口は2階のメインロビーです。ロビーにあるフロントで乗船カードやパスポートを提示して受付を済ませます。部屋の鍵をもらって入室します。部屋は4階のツインルームでした。バルコニー付です。バルコニーからは、嘉陵江(左の写真)や
対岸の夜景が手に取るように見えました。この時間にはまだ他の乗客はほとんどいませんでしたが、20時頃(出船の一時間程前)から団体客が乗ってきました。部屋には同室となる日本人グループの1人が入ってきました。この頃になると、水面を彩るナイトクルーズのネオンが目を楽しませてくれます。乗船客が乗り終わると4階のバーラウンジでガイダンス(乗船説明会)が始まりました。船はこのガイダンス中に出航(21:00)していました。ガイダンスが終わって部屋に戻ると、既に重慶市の灯りは見えなくなっており、船は暗闇の中を静かに進んでいました。明日に備えて、シャワーを浴びて就寝しました。

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第2日目−目が覚めると船は既に豊都の埠頭に接岸していました。辺りは朝靄に包まれていました。6:30頃から5階のバーラウンジでモーニングコーヒー(無料)が飲めました。7:00から2階のレストランで朝食バイキングが始まりました。朝食後、急いで上陸観光の準備をしました。
(豊都鬼城観光)ここの観光料金は遊覧船の料金に含まれています。観光時間は約2時間半です。上陸観光は、幾つかのグループに分かれて行動します。それぞれにガイドが同行します。10数人の日本人グル―プに入りました。日本語ガイド付きでした。豊都鬼城は、漢代(BC206-220)に陰長生と王方平という2人の道士が修行し、仙人になったという伝説のある山です。2人の名前が合わさると「陰王」すなわち日本で言う「エンマ大王」の意味を表す言葉となり、冥途の世界を表現する建物が多く作られるようになった所です。その為英文では、city of devils"悪魔の街"表現されています。観光ルートは次の様でした。
9:00上陸→カート移動→山門→白無常像→リフト(エスカレーター)→→奈何橋→百子殿→鬼門関→天子殿(山頂)→→下山→乗船11:30
(豊都から忠県へ)豊都出航後昼食→石宝寨がある忠県までは67km程、上甲板(観光デッキ)に出てのんびり景色を眺めました→長江岸の所々には江の推移が分かるように水位計が設置してあります→16:00頃忠県埠頭に到着
(石宝塞観光)オプションで参加費は180元、観光時間は約2時間です。上陸観光は、豊都観光と同様のグループで行動しました。石宝塞は、忠県の長江北岸にある玉印山の山腹に沿って、麓から頂上まで12階建の朱色の楼閣(石宝塔=右の写真)
が建っている所です。丁度玉印山を登る階段の役目をしているような建物で高さは56mあります。この楼閣は明代の末期に建設が始まり、清代にかけて増設を繰り返して今の形になったそうです。船から見ると長江と周囲の緑の木々の中に珠色の建物が見えます。三峡ダムが出来る前は麓に村があっての様に見えていたそうですが、現在は水面が4-50mも上昇した為コンクリートで覆われています。石宝塞の山頂には3層の蘭若殿建っており、その上に登ると長江の流れが一望できます。船が停泊している忠県埠頭も眼下に見えます。眺めが良い事から蓬莱閣とも呼ばれているそうです。観光ルートは次の様でした。
16:00過ぎ上陸→両側に店が並んだ中を歩く→渡河橋→石宝塞入口→回廊を通る→楼閣到着→楼閣を登る→山頂→帰船18:30
帰船後、船長主催の晩餐会がありました。20時頃から4階のバーラウンジで歌舞表演(踊りや歌のショー)がありました。出演者は船の乗組員の方々でしたが、歓迎の獅子舞等もあり嗜好を凝らした内容でそれなりに楽しめました。


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第3日目ー目が覚めると船は白帝城がある奉節県の埠頭に接岸していました。前日と同様モーニングコーヒーを飲み、2階のレストランで朝食をとりました。途中の雲陽県(張飛廟がある)は夜中に通過したようです。張飛廟は三峡ダムで水位が上がり、観光に時間がかかるようになった為、遊覧船の多くは通過しているとの事でした。水位上昇の影響は白帝城も例外ではなく、現在は長江に浮かぶ小島の様になっています。(白帝城には橋が架けられています
(白帝城観光)オプションで参加費は260元、観光時間は約2時間半です。上陸観光は、これまでと同様のグループで行動しました。白帝城は、三峡の一つ目の峡「瞿塘峡(どうきょう)のほんの数キロ手前に位置しています。白帝城の中腹からは瞿塘峡が良く見渡せます中国の10元札の裏のデザインもここから眺めると良く分かります。白帝城の見所の一つです。
白帝城は、三国時代末期に蜀国の劉備玄徳が最期を迎えた所として有名です。城内には「劉備託孤」(劉備が諸葛孔明に子供を託す)の状景が塑像で再現されており、もう一つの見所となっています。観光ルートは次の様でした。
7:30上陸→連絡バスの乗車駅まで歩く→バス移動→入場ゲート→風雨廊橋を渡る→諸葛孔明の像がある広場→林道を登る→展望所(10元札の裏のデザインが望める展望所)→城門→李白の「早発白帝城」(早(つと)に白帝城を発す)の詩が彫られた詩碑→白帝廟門→託孤堂→出口へ→→来た時と同じルートで帰船10:00
(瞿塘峡)10:40奉節県埠頭を離れました。瞿塘峡は直ぐ目の前です。三峡下りの第一の峡が瞿塘峡です。三峡の中では一番短く全長は8kmしかありません。両岸は高い絶壁となっており川幅は100m程しかありません。瞿塘峡通過の模様はここをクリックしてビデオでご覧ください。
(小三峡)11:30から早めの昼食を済ませました。13:00少し前に巫山県埠頭に着きました。ここで中型船に乗り換えて小三峡観光となります。観光料金は遊覧船の料金に含まれています。小三峡は巫峡の入口付近にあり全長は143km程です。正式には大寧河と言い長江三峡区間に流れ込む支流の中では最大の河です。この大寧河の下流にある龍門峡・巴霧峡・滴翠峡を総称して、大寧河小三峡と呼ばれています。三峡ダムの完成で水位が上昇し、中型の観光船が通行できるようになりました。小三峡の観光ルートは次の様でした。
13:00小三峡観光用の小舟に乗り換え→龍門峡→巴霧峡→馬渡河ロ→小小三峡に行く人(観光はオプション)は馬渡河ロで小舟に乗り換えます→小小三峡に行かない人は同じ船で滴翠峡へ→滴翠峡でUターンして馬渡河ロへ戻ります→帰船17:00
龍門峡は、小三峡の入り口付近にあり長さは3q程です。ここには全長184mの龍門橋がかかっています。巴霧峡は、長さが10kmあります。絶壁に鍾乳石が見られます。東側の絶壁に昔(戦国時代)の鉄製の棺桶がある事から「鉄棺峡」とも呼ばれています。滴翠峡は、長さが20kmあります。

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(巫峡)船は18:00頃巫峡に入りました。三峡下りの第二の峡が巫峡です。巫山県と巴東県の間に位置し全長は44kmあります。西から東に下るにつれて川幅が狭くなります。ラッパ峡とも呼ばれます。南岸の山が甲骨文字の「巫」に見える事が巫山の由来となっています。また両岸に1000m級の12の峰が連なっている所があり、この峰々は巫山十二峰と呼ばれています。巫峡通過の模様はここをクリックしてビデオでご覧ください。
18:30頃から、船長主催の別宴(お別れ夕食会)がありました。別宴後、上甲板(観光デッキ)に上がってみました。まだ薄明かりが残っていました。丁度、巴東県の中央にかかる巴東長江大橋を通過する所でした。当初スケジュールよりかなり遅れており、西陵峡の西部区間通過は夜の航行となり景色を見ることはできませんでした。

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第4日目ー午前1:30頃、船室に三峡ダム到着の放送が流れました。ダムを通過する為の水門は五段式で通過には4時間程かかるという事でした。深夜にもかかわらず多くの乗船客が上甲板に上がって見ていました
(三峡ダム)西陵峡のほぼ中央にある世界最大のダムです。1993年に建設が始まり、16年後の2009年に完成しました。70万kw発電機を26台備え、その発電量は中国の年間消費電力の1割近くに上るそうです。ダムの貯水域は660kmにも及び重慶市街地の近くまで及んでいます。水面の上昇は、流域住民110万人の強制立退きや、多くの史跡が水没するなど多くの影響をも
たらしました。流域住民は、長江岸の高台に建設された高層アパート群に移住させられたました。高層アパート群は各所で見られます。また、船に乗って初めて実感したのですが、木片・発砲スチロール・空き缶などの漂流物が、度々みられた事でした。観光化による廃棄物の増加や、ダムによる長江流水の淀みは、河の自然の浄化能力を低下させていると感じました。
ダム通過の写真ー自室のテラスからドックの壁に手が届きそう→上甲板に上がるとそこは巨大なドックの底→同じドック内に数隻の船が同時に入るので時間がかかる→後ろの水門が閉まる→前の水門が開き通過、を5回繰り返して水門を通過する。
水門を通過した船は、午前6:00前には西陵峡口埠頭到着していました。船の上甲板からは、西陵峡口埠頭の直ぐ前に黄陵廟(春秋時代に建立され、禹を助けた神牛を祀っているとされます。三国時代に諸葛亮が再建したものです)が見えます。
朝食をして三峡ダム観光の準備をしました。三峡ダムの観光ルートは次の様でした。
8:00大型バスに分乗して出発→→三峡ダム模型室→ダム全景を見下ろす展望台→ダム頂上(高さ185m)の展望所→帰船10:00
(西陵峡ー東部区間)三峡ダム観光後、一部の団体は船に戻らずバスで次の目的地に移動して行きました。11:00船は宜昌に向け出発しました。ここから宜昌までは39キロ程で、西陵峡の東部区間を航行します西陵峡は、三峡下り第三の峡です。三峡の中では最も長く全長は76kmあります。姉帰県香渓から三峡ダムまでを西部区間、ダムから宜昌市南津関までを東部区間と言います。昔は「灘険水急」(険しい難所が多く水も急流)でしたが、ダムで水位が上がり穏やかな船旅が続きます。西陵峡通過の模様はここをクリックしてビデオでご覧ください。
(宜昌到着)西陵峡口埠頭を離岸してから2時間程、左舷に三遊洞の建物が見えてきました。船は間もなく大きくUターンして、宜昌郊外の桃花村埠頭に接岸しました。宜昌到着は12:30過ぎでした。この続きはここをクリックして「宜昌」をご覧ください。


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[特記事項]
記載情報の入手日(=旅行日)
:2012年6月
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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01