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堀・船津の中国旅行記
湖北省
宜昌

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重慶から三峡下りクルーズ船に乗り3泊4日で宜昌に到着しました。宜昌から先は高速バスを使って、三国志の史跡を訪ねる旅を計画しました。このページの宜昌を皮切りに、荊州→武漢→赤壁と紹介していきます。
<宜昌の入り方>三峡下りの遊覧船の多くが宜昌を終点としているので、観光客は船で入るのが一般的です。鉄道は宜昌駅を利用します。2010年に有名な宜万鉄道が開通しており、現在は武漢〜重慶間を約8時間で結んでいます。宜万鉄道については改めて後述します。長距離バスは、宜昌客運駅を利用します。武漢と宜昌を結んでいる漢宜高速と重慶と宜昌を結んでいる三峡高速があり沢山の長距離バスが運行されています。飛行機は、宜昌三峡空港を利用します。国内便中心のローカル空港で路線や便数は限られますから、長距離バスや列車の方が便利です。ちなみに、空港は宜昌駅から東南の方向に30km程離れた所にあり、タクシーだと4〜50分かかります。三峡ダムからは60km程あります。
<宜昌市>宜昌(Yi Chang ぎしょう)市は湖北省の西部に位置しています。長江三峡の下流にあり、長江クルーズや貨物船の寄港地となっており、水上交通の要衝です。宜昌市街地の傍には、三峡ダム建設のモデルダムとして作られた、葛州堰ダムがあります。ダム公園も整備されています。三峡ダムはここから40km上流にあります。人口は415万人で、都市部の人口は134万人程です。古代中国四大美人の一人「王 昭君」の出身地として知られている他、三国志の夷陵の戦い(222年に行われた、劉備率いる蜀漢軍と、孫権率いる呉軍との間の戦い)があった所です。後述する三遊洞には、張飛擂鼓臺があり、蜀軍の張飛が太鼓を叩いて兵士を訓練している石像があります。また宜昌北部の三峡両岸は、険しい山岳地帯となっており、陸上交通としての鉄道建設が試みられてきました。それが2010年に開通した宜万鉄道です。
<宜万鉄道>宜万鉄道は、湖北省宜昌市と重慶市万州区を結ぶ鉄道です。中国でも最も初期に建設が始まった鉄道で、清朝末期の1909年に工事が始まりました。この建設を指揮したのが、中国初の鉄道技術者・簷天佑(ジャン・ティエンヨウ)でした。そして、その建設の前線基地が、宜昌市の中心にある現在の夷陵広場に置かれていました。現在この夷陵広場の南側入口に、その事を記述した看板が立てられています。当時は、成都と漢口を結ぶ「川漢鉄道」として建設が始まりました。しかし、鄂西山岳地帯にはカルスト台地が多く地盤が軟弱で、地形も複雑で工事は難航を極め、20kmほどで工事が中断してしまいました。簷天佑は川漢鉄道の完成を見ることなく他界してしまいました。それから、94年後の2003年に工事は再開され、8年の歳月をかけて2010年にやっと完成をみました。宜万鉄道は全長377kmですが、その区間には、トンネルが159カ所、橋が253カ所作られ、架橋とトンネルの長さは、全長377kmの74%に上るという事です。

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<宜昌の歩き方>宜昌の中心部は、それほど広くはないので、市内の移動は、初乗り6元のタクシー利用が効率的です。市内は全てメーター制なので安心です。バスは綺麗で沢山通っていますからバスも利用しやすいです。宜昌の中心地は、夷陵広場がある西陵一路(東西に走る道路)とこれに交差して南北に走る東山大道の周辺です。西陵一路と東山大道が交差する所から、東山大道を南に300m程(5分)歩くと宜昌火車駅(列車駅)があり、そこから更に400m程(6分)歩くと宜昌客運駅(長距離バスセンター)があります。まずは、市の中心にある夷陵広場に行ってみるのが良いでしょう。
夷陵広場(右の写真)は、東西300m、南北180m程の緑地公園で、市民の憩いの場になっています。出入口は東西南北にありますが、西陵一路に面した北門が正門の様です。西の出入口には夷陵広場の世来が書かれた青い看板が建っています。ここには凡そ次のような事が書いてあります。古代、宜昌市は夷陵と呼ばれていた事に由来して付けられた名称である事。1909年に工事が始まった川漢鉄道建設の際には、夷陵広場一帯に現場事務所が置かれ、簷天佑は2000人もの人々と一緒にこの場所で工事の指揮を執った事。1997年5月になり市政府は近代的緑化広場にする事を決定し同年11月に市民に解放された事 等です。
個人旅行の夕食にお薦めの場所があります。北門を出て西陵一路を右に歩き、東山大道を更に右に曲がった直ぐのビルの中に何軒かのレストランが入っている場所があります。ここの一軒にブッフェスタイルのレストランがあります。(店名は忘れました)品数が豊富な上に、火鍋迄あった事です。火鍋の味付けも自分好みで出来るし野菜も豊富で、個人旅行の栄養補給にはうってつけでした。


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三遊洞は、市内の北10キロ程の長江東岸に位置しています。公共バス(宜昌駅前の東山大道から出ている10路バス「三游洞」行き)もありますが本数が少なく時間もかかるようなので、タクシーを利用しました。私の場合は、往復と待ち時間1時間込みで130元でチャータしました。結果論ですが、三遊洞には白タクしかなく、料金は市内まで200元とか言っていました。かなり吹っかけられるようですから、市内を流しているタクシーと交渉して往復でチャーターしたのが結果オーライでした。三游洞は、テーマパークの様になっていて敷地内はかなり広大です。バンジージャンプ等の施設もあり一日楽しめる場所の様でした。私達の様な観光客は、予め観る場所を絞って置く必要があります。入門票場売場と入口は右図の1の所にあります。三游洞の正式名称は三游洞摩崖と言います。その名の通り、入口の坂を下ると直ぐに洞窟があります。ここが三游洞摩崖(右図2)です。唐の白居易・白行簡・元●(のぎへんに真)の三人がここに遊びに来て詩を詠んだという古跡です。白居易がここで「三遊洞序」と言う詩を作った事から「三遊洞」と呼ばれるようになったそうです。洞窟の先にある苔むした細い石段を鎖を伝いながら歩いて行くと張飛擂鼓台の標識があります。ここを右に曲がって一段と高い場に行くと太鼓を叩く張飛像(右図4)があります。張飛擂鼓台は、張飛が水軍の兵士を訓練する為、ここに指揮台を置き、太鼓を叩いて兵士を鼓舞したとされる場所です。張飛像が長江をにらむように立っており、景色と相まって結構の迫力です。張飛擂鼓台からは、眼下に長江が一望できます。三峡の起点を示す石碑「三峡起始点」があります。ここから北が上流から数えて三つ目の峡に当たる「西陵峡」の終点であり、逆に上流に上れば、三峡の起点となる訳です。擂鼓台を少し下った所には「至喜亭」(写真3)があります。その他の見所としては、劉備の養子劉封と孟達築いた城の遺跡で、後に孟達が魏に寝返った為、後世の人々が劉封城と呼ぶようになった「劉封城遺址」、印の文字を岩に彫った「印章石園」(右図3と4の中間)、頂上に建っている「楚塞楼」(右図5)、断崖に造られた「崖の桟道」、等があります。
荊州へー翌朝荊州に行く為、宜昌客運駅へ向かいました。宜昌客運駅は前述した東山大道にあります。ビルの1階に電光掲示板とチケット売り場があります。ビルの中にはマックやローカルフードの店があります。荊州行のバスは、指定便や指定席はなく、当日限り有効のチケットしかありません。中型のバスで席が埋まると直ぐ出発します。9:00発のバスで荊州に向かいました。この続きはここをクリックして「荊州」をご覧ください。
<宜昌での日程紹介>
宜昌港13:00→(的士)→13:30盈嘉酒店14:00→(的士)→14:30三遊洞15:30→(的士)→16:00夷陵公園(宜万鉄道関係)→夕食
(2日目)盈嘉ホテル07:40→08:30宜昌客運駅(荊州行バス票購入)09:00→長途巴士(114km)→11:00荊州客運駅到着

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[特記事項]
宜昌港から市内の盈嘉ホテルまで:白タクの交渉で50元
市内のタクシー初乗り運賃:6元(市外に向かう場合は運転手との交渉料金となります)
市内から三遊洞までタクシーチャータ:(市内を流しているタクシーと交渉)往復と待ち時間1時間込みで130元
長距離バスセンターの場所:宜昌火車駅から東山大道を400m程南に行った所にあります。名称は宜昌客運駅です。
宜昌〜荊州の高速バス:料金は40元。30分毎位に出ています。乗車券は当日販売で当日有効です。指定席は無く満員になったら出発します。バスは漢宜高速(G50号線)を通って所要時間は約2時間です。
宿泊したホテル:盈嘉(ying 2jia1)ホテル 4星 湖北省宜昌市珍珠路12号

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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01