堀・船津の中国旅行記
雲南省
麗江県

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麗江県は雲南省北部の2500メートル近い高地にあります。麗江地区の区都で、県政府が設置されている事から、麗江県と言います。人口は約30万人でその多くがナシ(納西)族です。麗江の総面積は7500平方キロありますが、平地は僅か5%しかありません。しかし、古くは南方シルクロードや茶葉古道(チベットとの交易ルート)の要衝として栄え、南宋時代に創建された麗江古城は、800年の歳月を経ており世界文化遺産にも登録されています。現存する最後の象形文字として有名な東巴(トンパ)文字の故郷でもあります。麗江の15キロ北側には、万年雪を頂く5600メートルの玉龍雪山があり、13の峰峯が天にそびえています。また長江がその流れの中で、最初の大曲をする場所で知られている長江第一湾があります。
大理から麗江までは200kmあり、その高低差は500メートル近くにもなります。私達は早朝7時過ぎに、ホテルを出発しました。私達の車は小型のマイクロバスで、同乗者はシンガポール人の若者二人でした。ホテルを出てから右にジ海、左に蒼山を見ながら北上しました。ジ海と別れる頃から山道に入ってきました。運転手は手馴れたものと見え、険しい山道を、猛スピード走ります。高度が上がって耳鳴りがしてきてもお構いなしです。標高の高い高地での500メートルはかなり負担です。それでも、道中の眺めは素晴らしく、居眠りする間もない程です。3時間も走った頃、真っ青な空の向こうに、万年雪を頂いた、玉龍雪山が見えてきました。いよいよ、麗江に入ったと実感する瞬間でした。
麗江には昼過ぎに到着しました。希薄な空気が実感できると同時に、紫外線を強く意識しました。空はあくまでも青く澄み渡り、2500メートルの高地にありながら玉龍雪山が高くそびえて見えるのが印象的な街でした
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麗江古城。 ホテルで一休みしてから、麗江古城に向かいました。(写真)麗江古城は明(1368〜1644)・清(1644〜1911)時代のたたずまいをそっくりのこしています。狭い石畳の道が迷路の様に伸び、玉龍雪山の清水が街の中を流れています。石畳は元代から残るもので一つが40〜50cm四方あり、鏡の様に磨き上げられており、長い年月を感じさせます。しかしこの様なふるい街並も、観光用に綺麗に、手を入れられた場所が多く、チョット残念な感じもありました。水路のそばにカフェがあったり、土産屋さんや物売りも一杯でした
夕食はお好み焼き? 麗江古城のレストラン行きました。麗江の料理は四川料理に近く辛さが一杯でしたが、お好み焼きに似たものがあって、結構いけました。
東巴宮古典鑑賞。 
夕食後、古城内の東巴宮で伝統的な東巴宮古典を鑑賞しました。一見に値するものでした
麗江二日目。 旅行社が用意した車に乗り込み玉龍雪山向かいました。玉龍雪山は未踏峰の山で私達が目指したのは、その近くの雲杉坪です。 ガイドは
納西族の小姐でした
玉峰寺は、玉龍雪山へ向かう途中にあり、元々はチベット仏教の寺院でしたが、今は東巴教の寺です。境内には樹齢1000年と伝えられる万雑茶花と言う椿の木があります
東巴万神園は、最近までは観光案内にも載ってなかった場所です。東巴教のお寺と言うところで、圧巻は玉龍雪山に向かって描かれた天国への道です。下の方は地獄絵が描かれ、上に向かって天国絵になると言う、まさに壮大な天国への道でした
雲杉坪。 私達の載った車はさらに北上しました、玉龍雪山が目前に迫ってきました。壮大な眺めはしばし目を釘付けにせずにはおきませんでした。ナシ族の悲しい言い伝えを残す雲杉坪には、ロープウエーで登ります。雲杉坪の標高は3200メートルで、標高差600メートルあります。(上の枠内のボタンを押すとロープウエーで登るところを、ビデオ映像でご覧いただけます。)
昆明へ戻る。 夕方の便で、昆明に戻るべく、麗江空港に向かいました。


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[特記事項]
この他の観光地
:玉泉公園・白沙・虎跳峡・長江第一湾・金沙江など
新しく出来た麗江の劇場
:中国麗江民族文化交流中心(少数民族のショーをやっています。いつも満員なので、早めにチケット予約した方が良いです)
有名な料理
:料理は辛いもの中心。
美味いもの:鶏椀豆涼粉(ビーフン料理の一種)、日本のお好み焼き風の料理もあります。
特産品:茶
少数民族:納西族


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01