堀・船津の中国旅行記
吉林省
集安

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6月30日早朝、チャーター車で集安に向け、二道白河鎮のホテルを出発しました。二道白河鎮から集安までは、国道201号線と303号線を通って380キロ程、車で約6時間かかります。二道白河鎮を出て国道201号線を西に向かい、白山市を経由して通化市までが約270キロ、通化市から国道303号線に入って集安市内までが約110キロです。
集安市は、吉林省の南東部にあって長白山南麓に位置しています。吉林省通化市が所管する県級市で人口は24万人(2004年資料)程度の小都市です。市域の約8割を森林が占めるそうで、鴨緑江の豊富な水資源と相まって、高句麗が400年間も都をここに置いた理由が分かる気がします。2004年には古代高句麗王国の遺跡や古墳群がユネスコの世界文化遺産に指定されました。日本でも良く知られる広開土王碑
もここにあります。市の南には鴨緑江(ya lu jiang)が流れ、国境鉄道大橋が架かっています。対岸はもう北朝鮮です。市内からも北朝鮮の煙突などが見え正に国境の街そのものです。
集安の歴史ー高句麗(紀元前37年〜紀元667年)の祖「朱蒙(チュモン)王」は、紀元前37年頃、集安の北に位置する卒本(卒本城=今の五女山付近)で建国したとされています。西暦3年に至り第2代の瑠璃明王は、集安郊外の丸都山
へ遷都しました。これが丸都山城です。その後、鴨緑江岸の平地にも王宮を造営しました。これが集安市内にある国内城遺跡です。山城の丸都城と平城の国内城は一体のものとして使われ、こうした組合せは、以降の朝鮮半島における城の基本形となって行く事となりました。第20代目の長寿王(在位413-491)が427年に長安城(今の平壌)に遷都するまで、集安は4世紀に渡って高句麗の都であり続けました。韓国の歴史ドラマ『朱蒙 -チュモン』は、この時代を題材にしたものです。
韓国の歴史ドラマと言えば、「太王四神記」もここ集安が舞台です。ペヨンジュン扮するタムドクが、チュシンの王の星のもと生まれ、数々の困難を乗り越え、天から与えられた四神の神器とその守り主をさがし当て、真の王へと成長する物語です。タムドクは、後に高句麗の第19代王「好太王」となります。紀元前から7世紀まで、中国東北部から朝鮮半島に存在した「高句麗」の領土は、好太王の時、最も広がり、最盛期を向かえた為、広開土大王とも呼ばれています。集安市内には好太王の陵墓
や、歴史を刻んだ巨石「好太王碑」が見所の一つになっています。
集安市への入り方ーこの旅行記では、チャーター車で延吉→長白山→集安到着で説明していますが、集安に直接入るとなると大変厄介です。中朝国境の山間部にある小さな街なので空港はありません。列車は梅集線と言うローカル線を利用する事になりますが、一日1〜2本しかありません。公共交通を利用するなら長距離バス
が良いでしょう。詳しくは、下段の[特記事項]を見て下さい。
集安観光ー集安観光の足は、個人旅行者には歩きとタクシーチャーターが一番です。集安の街は小さく市内にある見所は歩きで十分です。タクシー料金はとても安い(半日100元程度)ので、市外に点在する見所はタクシーをチャーターして周ってもらうのが効率的です。
観光の目玉は大きく二つです。
一つは高句麗の遺跡郡、二つ目は北朝鮮を真近に見る事です。主な見所は、下図の集安市周辺図を参照して下さい。図下の名称にマウスをのせると右下画像エリアにその場所の画像をご覧いただけます。では下図の番号順に見所を紹介していきます。

ボタンをクリックすると鴨緑江遊覧の模様を動画でご覧頂けます。

@集安市街地で上図右側に市街地の拡大図が載せてあります。市街地は徒歩で半日もあれば十分に観光できます。集安市街図の黎明街・文化路・河東街・勝利路に囲まれた部分が、高句麗王朝の国内城があった場所です。
国内城遺跡(guoneicheng yizhi)
は、高句麗初期の城跡です。前述した第2代瑠璃明王が築いた平城の跡です。城は長方形で、周囲の長さが2.7キロあったそうですが、今は図の黄色い部分に城壁が残っています。このエリアのスタート地点は、黎明街と文化路が交差するロータリーGの所です。ロータリーの周囲は中国工商銀行などのビルが建っています。国内城がある方の角は小さな公園となっています。ここから文化路に沿って西に歩きます。左側はアパートが建ち並んでいて、丁度日本の団地の様な感じです。このアパートの間に国内城の城壁が残っています。一応金網で保護された形にはなっていますが、洗濯物が干してある様は、微笑ましく中国らしい雰囲気です。文化路を800m程歩くと通溝江に出ます(左折)。川沿いの道は河東街で、左側は公園風の緑地帯になっており国内城の城壁が残っています。200m程歩いた所に、高句麗時代の排水溝の遺構Hがあります。更に300m程歩くと勝利路に出ます。ここに掛かっている橋が躍進橋Iです。躍進橋を見たら勝利路を東に歩いていきます。直ぐ右手に集安客運総駅(長距離バスセンター)Jがあります。通化市や瀋陽、長春等に向かうバスはここから出ます。更に歩くと左に高句麗遺跡公園があります。高句麗時代の巨石のモニュメントがある他、ダンスに興じる市民の様子などが見られます。これで、国内城遺跡を一周した事になります。時間があれは勝利路を左折して、文化路の方に歩いて行くと、商店や屋台が並んでいて、庶民の暮らしに触れる事が出来ます。
さて次は、郊外にある遺跡群を訪ねる事にします。前述したようにタクシーチャーターが一番効率的です。街には沢山のタクシーが走っているので(雨でも降らない限り)直ぐに捕まります。どちらかと言うとタクシーが供給過剰の様です。観光地だけあってタクシードライバーも心得たもので、値段交渉もすんなりでした。車は軽で、主な所を案内して100元(日本円で千円ちょっと)でした。なかなか愛嬌があって、面白いタクシードライバー
でした。


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では番号順に説明していきましょう。
B丸都山城wan du shan cheng
ー市内から車で10分弱(2.5km)です。第2代の瑠璃明王が造ったもので、国内城と一体をなす城として4世紀に渡って使われてきた山城です。山城は高さ4m、幅7m、周囲6975mの城壁に囲まれ城門が5つあったとされ、現在は西と南の城門が残っています。山頂に東西92m、南北62mの宮殿があったそうです。
B山城下貴族墓地quizu mudi(洞溝古墓群)
ー丸都山と通溝河の間の谷間にあり、その広さは6千平方キロ、弟塚や折天井塚など1800基ものピラミット型陵墓があります。必見の場所です。
C好太王碑hao tai wang bei(入場料30元)
ー後に広開土大王と呼ばれる高句麗19代目の好太王(19代王)の功績を記念して息子の長寿王が建てた(414年頃)巨大な石碑です。高さ6.39m、幅1.3m〜2m、重さが37トンもあり、その4面には1775字(内1590字が判読されています)が刻まれているそうです。園内に展示室があり日本人がとった拓本の写真が展示されています。石碑には、高句麗の建国の神話伝説、好太王の領土拡張の功績、好太王墓の守備者(墓守り)の三つの内容が書かれています。「倭」と言う文字も刻まれており、当時の日本の歴史を知る貴重な資料の一つになっています。
(北朝鮮の工場が見えます)ーこの辺りから、鴨緑江の対岸にある北朝鮮の(煙突がある)工場が見えます

C太王稜tai wang ling
ー好太王碑の西側200m程の所(同じ園内)にあります。陵墓の周囲は260m(1辺が65mの方形)、高さ14mの石墓(ピラミットの様に石を積み上げた墓)。積み上げた石が崩れ落ちない様に、各辺には5個の花崗岩の巨石が寄りかかる様に建てかけられているのが特徴です。現存するのは13個ですが、一個の重さは10トンもあるそうです。陵墓の上に登ると墓室があり2つの石棺台が並んでいます。この墓は高句麗時代の陵墓としては最大のもので、好太王の字が書かれた煉瓦が出土したことから太王稜と確認されたそうです。陵墓の上から見る眺めも一見です

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D将軍塚jian giun fenー第20代長寿王の墓で5世紀頃に造られました。長寿王の名の通り在位期間は75年で90歳で亡くなったとされます。7段からなる高さ13mの石墓で、1辺の長さは31.5m〜33.1mの方形です。その造形の美しさから東方のピラミッドと呼ばれています。墓の中には王と夫人の石棺台が並んでいます。墓の外側は花崗岩が積み上げれらていますが、内部は栗石が使われているそうです。方形の各辺には3個の花崗岩の巨石が立てかけられています。高句麗墓の特徴です。少し離れた所に高さ4.6mの石墓(将軍墳1号倍墳)があります。第2夫人の墓と考えられています。
E鴨緑江遊覧ー鴨緑江の中間
が北朝鮮との国境になります。対岸は北朝鮮の満浦市です。国境大橋が見える中国側江岸に遊覧船の乗り場がありました。「中朝国境」と朱書された石標が建っています。河岸からでも対岸の北朝鮮は手に取るように見渡せます。遊覧船は10人程が乗れる小型のボートです。1時間ほど掛けて国境となる河の真ん中付近を遊覧します。川岸で洗濯する様子や自転車や牛車で行き来する人の様子などが見えます。金日成の肖像を掲げた工場なども見えます。ココをクリックすると鴨緑江遊覧の模様を動画でご覧いただけます。
F国境大橋guo jing da qiao
ー国境の橋で、遊覧船乗り場の直ぐ近くにありました。集安駅から北朝鮮へ向かう満浦線が通っています。橋の中間に国境線があり、奇数日に北朝鮮の列車、偶数日に中国の列車が1日1往復しているそうです。この橋は満州国(1932年〜1945年)があった当時、日本の手によって架けられた鉄橋です。
その他の見所
兎山貴族墓地ー集安駅の北側の兎山麓にあり、高句麗の王侯貴族の古墳があります。中でも5号墳4号墓の墓室に描からえた四神の壁画が見所です。写真撮影は出来ません。
集安到着から3日目、11:20発の長距離バス
で瀋陽に向かいました。
この続きは、ここをクリックして「瀋陽」をご覧ください。

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[特記事項]
記載情報の入手日(=旅行日):2010年6月

長距離バス:(瀋陽発)一日2本運行、距離=417キロ、所要時間=6〜7時間、運賃=90.5元(長春発)一日1本運行、距離=453キロ、所要時間=6〜7時間、運賃=98元 等です。集安からは、瀋陽、長春の他、通化、丹東、延吉などもありますが、残念ながら長白山行はありませんでした。
鉄道駅:ローカルの梅集線(吉林省梅河口〜集安)の終点となる集安駅(集安市周辺図A)
を利用します。
瀋陽北駅から集安行が一本ありますが所用時間は12時間程かかります。通化行きであれば本数は少ないですが長春や北京からも出ています。通化駅で集安行に乗り換える事になりますが、本数は夕方の1本しかないようです。どうしても鉄道を利用したい場合は、一旦通化駅まで行って、公共バスや乗合タクシーを利用する事になります。結論を言えば旅行者にはかなり不便です。
国際列車:集安駅からは、北朝鮮の満浦線が繋がっていますが、旅行者の利用は難しい様です。
集安のタクシー事情:小さな町の割にタクシーの台数が多く、比較的利用しやすいです。市内は全てメーター制で安心。周辺の観光で利用する場合はチャーターとなり料金は交渉となりますが、概ね100元が相場かと思います。
集安料理:市域の約8割を森林が占めるだけあって、きのこ、きくらげ、朝鮮人参、西洋人参、雪蛙、等の山の幸が豊富です。これらを利用した各種薬膳料理があります。郊外にはブドウ畑が広がっていて地元の葡萄酒もあります。朝鮮族も沢山住んでいるので、安く美味しい参鶏湯
や冷麺も食べられます。
宿泊したホテル:集安香港國際暇日大酒店

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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2014.01.19