では番号順に説明していきましょう。
B丸都山城wan du shan chengー市内から車で10分弱(2.5km)です。第2代の瑠璃明王が造ったもので、国内城と一体をなす城として4世紀に渡って使われてきた山城です。山城は高さ4m、幅7m、周囲6975mの城壁に囲まれ城門が5つあったとされ、現在は西と南の城門が残っています。山頂に東西92m、南北62mの宮殿があったそうです。
B山城下貴族墓地quizu mudi(洞溝古墓群)ー丸都山と通溝河の間の谷間にあり、その広さは6千平方キロ、弟塚や折天井塚など1800基ものピラミット型陵墓があります。必見の場所です。
C好太王碑hao tai wang bei(入場料30元)ー後に広開土大王と呼ばれる高句麗19代目の好太王(19代王)の功績を記念して息子の長寿王が建てた(414年頃)巨大な石碑です。高さ6.39m、幅1.3m〜2m、重さが37トンもあり、その4面には1775字(内1590字が判読されています)が刻まれているそうです。園内に展示室があり日本人がとった拓本の写真が展示されています。石碑には、高句麗の建国の神話伝説、好太王の領土拡張の功績、好太王墓の守備者(墓守り)の三つの内容が書かれています。「倭」と言う文字も刻まれており、当時の日本の歴史を知る貴重な資料の一つになっています。
(北朝鮮の工場が見えます)ーこの辺りから、鴨緑江の対岸にある北朝鮮の(煙突がある)工場が見えます。
C太王稜tai wang lingー好太王碑の西側200m程の所(同じ園内)にあります。陵墓の周囲は260m(1辺が65mの方形)、高さ14mの石墓(ピラミットの様に石を積み上げた墓)。積み上げた石が崩れ落ちない様に、各辺には5個の花崗岩の巨石が寄りかかる様に建てかけられているのが特徴です。現存するのは13個ですが、一個の重さは10トンもあるそうです。陵墓の上に登ると墓室があり2つの石棺台が並んでいます。この墓は高句麗時代の陵墓としては最大のもので、好太王の字が書かれた煉瓦が出土したことから太王稜と確認されたそうです。陵墓の上から見る眺めも一見です。