6月27日哈爾濱発(9:00)の動車組で長春に到着(10:50)しました。飛行機の場合は長春市の東38キロ程の所にある長春龍嘉国際空港を利用する事になります。空港から長春駅付近まで、タクシーで約50分、空港バスで60〜70分程です。 長春(ChangChun)は吉林省の省都で、市区人口は358万人、都市圏人口は750万人の大都市です。漢族、満族、朝鮮族、回族、モンゴル族、シボ族など38もの民族が暮らしています。広開土王で知られる高句麗(紀元前37年〜668年)の北辺とされ、唐代に渤海(698年〜926年)が建国されるとこの地に扶余府が設置された所です。 長春と言えば最初に思い浮かぶのは、清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀fugiの事でしょう。日露戦争でロシアに勝った日本は、東清鉄道支線に関する権益をロシアより獲得し「南満州鉄道株式会社」を設立しました。1931年の柳条湖事件により関東軍の支配下に置かれた長春は、翌1932年に関東軍により建国された満洲国(中国では偽満洲国と呼ばれています)の首都に定められ、その名も新京と改称されました。愛新覚羅溥儀は、満洲国建国と同時に執政となり1934年には皇帝に即位しました。溥儀が執政をしたかつての宮廷府は、偽満皇宮博物院として一般に公開されています。 この満州国は1932年から1945年まで続き、この間日本人の手によって都市開発が実施され、現在の長春市街地が形成されました。長春市内には当時の建築物が多く残り、現在も実際に使用されています。これが長春観光の見所の一つともなっています。 このような歴史的背景から長春の見所としては、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の偽満皇宮博物院と満州国当時の建物が残る市街地が中心となります。 偽満皇宮博物院(weimen zhou quowuyuan)は、長春駅から東へ2.3キロ程の所にあります。溥儀が皇帝として執務を執った宮殿で、主に勤民楼と同徳殿の二つの建物からなっています。建物内には満洲国の年譜や関係資料が展示されていて当時の様子がよく分かります。博物院内は広くジックリ見て周ると3、4時間は掛かります。館内の歩き方を簡単に書いておきますから、下段の偽満皇宮案内図をご覧いただきながらお読み下さい。 なお、左枠内のから偽満皇宮博物院内の主な見所を動画でご覧頂けます。
下のをクリックすると「偽満皇宮博物院内の主な見所」を動画でご覧いただけます。動画下のをクリックすると全画面表示でご覧いただけます。
長春駅からタクシーに乗ると入場券売り場がある「菜薫門」@で下りる事になりますが、この門は入口ではありません。でも何故かここに入場券売り場Aがあるのです。ここで入場券を買ったら博物院の塀に沿って左に数十メートル歩いた所に入口となる保康門Bがあります。 入口の保康門@から出口Mまでの順路は凡そ次の様になります。下の案内図の番号と照らし合わせながらご覧下さい。なお、案内図の中に(ちょっと見辛いかな)薄い赤線がありますが、見学順路を示しています。 B入口(保康門)C競馬場(入口から内廷入口まで馬車に乗る事もできます)D内廷入口 E宮内府と内部F勤民楼と満州j国皇帝玉座など展示物G西御花園H緝煕楼(溥儀の居所で、江沢民による「九・一八を忘れる事勿れ」の碑がある I同徳殿(右写真)と「ラストエンペラーにも登場したホール」謁見の間の玉座J東御花園K百年蒸気機関車L和平広場 M鳥居門出口
文化広場の周辺 H文化広場(人民広場から約2.3キロ、徒歩30〜40分) I.旧満州国宮殿(建設途中で中断された。現在は地質宮博物館)J旧満州国国務院(現吉林大学基礎医学院) K旧満州国軍事部 (現吉林大学白恩求医学部付属医学院) L新民広場(文化広場から約1.8キロ、徒歩25〜30分) M.長春解放記念碑 N南湖公園
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.R.HORI & Y.FUNATSU 公開日: 2002.08.10 更新日2013.05.06