堀・船津の中国旅行記
甘粛省
嘉峪関

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私達は蘭州市から「河西回廊」を走る抜ける夜行列車(T657号列車、蘭州駅22:17発)に乗り、嘉峪関を目指しました。嘉峪関到着は午前8:11でした。予約していた嘉峪関賓館に直行し、朝食をとる事にしました。
甘粛省は、南を祁連山脈に、北をゴビ灘=バダインジャラン砂漠(ゴビ灘の説明はここをクリックしてください)に挟まれた細長い廊のようになっています。そして黄河の西にあることから「河西回廊」と呼ばれます。
紀元前200年頃、当時西方に勢力を伸ばしつつあった漢の武帝は、匈奴の侵入に備え、河西回廊に四つの軍事拠点を設けました。武威・張えき・酒泉・敦煌の河西四群です。秦の時代の万里の長城も、更に西へと伸びていきました。明代(1368〜1644年)に入ると、初代洪武帝は、北方の異民族モンゴルへの備えとして「酒泉」郊外の砂漠のど真ん中に「嘉峪関城
」を築き、周辺を万里の長城で固め、西の守りの要としました。これが現在の嘉峪関市です。
嘉峪関市は、50年前までは僅かに農家があるだけでしたが、近年、鉄鋼と観光で開発が進んだ新しい街です。市内の人通りは少なく
、また史跡もありませんが、街中には輪タクが沢山走っていますから、輪タクに乗って、のんびりと市内を散策するのも嘉峪関ならです。街ではイスラムのモスクにも出会えます
嘉峪関は「河西回廊の喉もと」と言われるだけあって、郊外には軍事上の戦略拠点としての遺跡が多く残っています。見所は周辺に点在していますが、遠くても市内から20キロ程度です。公共機関はありませんから、タクシーをチャーターする事になります。私達がチャーターした車
の料金は、「懸壁長城」→「嘉峪関城」→「万里長城第一敦」→「魏晋壁画墓」の4ヶ所で200元でした。(入場料とか食事代は別途必要です)(左記ビデオボタンから、懸壁長城の様子をビデオ映像でご覧いただけます)

ボタンをクリックするとビデオ映像がご覧頂けます。

嘉峪関城は、市の西約10キロの所にあり、万里の長城の最も西にある関城です。 嘉峪関城は明代(1368〜1644年)の初期にモンゴルの侵攻を防ぐために築かれました。西から数えて第一番目の関城で「天下第一雄関」と称され、軍事上の重要な戦略拠点となっていました。長安の都から遠く離れた最果ての砦には 数百人の兵士が常駐していたと言われます。嘉峪関城は総面積が3万平方メートル以上あり、それを高さ11mの城壁が二重に囲んでいます。大外の入り口は東閘門です。門を入るとそこが外城で、高い城壁と幾つもの楼閣が見えます。外城は敵を翻弄するため道が入り組んでいますが、最初の建物は文昌閣です。その前を通って道なりに歩くと内城の東の入口に当る「瓮城」(おうじょう=瓮城の門を閉じ、攻めん込んだ敵を封じ込める場所)があります。中に入ると「光化門」があり、その上に高さ17mの三層の楼閣がそびえ建っています。内城の入口は東西二ヶ所にあり、西の入口は「柔遠門」と呼ばれます。西方の敵に対抗する為、「柔遠門」の外には更に「嘉峪関門」が建ち強固な守りとなっています。内城には東西の楼閣の下に、城壁に登る急勾配の道「馬道」があります。当時、急を知らせる兵士が馬に乗ったまま、ここを駆け上がったと言われています。その馬道を通って城壁に上る事になります。城壁の上に立つと、周囲にはゴビ灘が果てしなく広がり、東には酒泉盆地、南西には更に延びる万里の長城、そしてその遥か彼方には雪を頂く祁連山を望む事ができます。城壁の屋根の竜は、あたかも西方の敵を睨みつけているようにも見えます。この地が東西交流の最前線であったのかと思いを巡らしながら、しばし遠くにかすむ祁連の山並みを眺めていました


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嘉峪関城からは両翼を固めるように、北東の城壁から伸びる万里の長城は懸壁長城にいたり、南西の城壁から伸びる万里の長城はゴビ灘を流れる北大河の絶壁(万里長城第一敦)まで伸びていました。
懸壁長城
は、市の西北約20キロにある黒山の急な東斜面を、駆け上がるように造られた万里の長城(明代)
です。懸壁長城の名の通り、鉄壁を空に引っ掛けたように見えます。周辺には羊の群れを追う姿もみられます。斜面部分の長城の長さは231mで、斜面の角度は最大45度にも達します。長城にたどり着くまでには、かなりの忍耐を要しますが、頂上に立つとゴビ灘の雄大な眺めが疲れを吹き飛ばします。また頂上から辺りの斜面を見ると、沢山の文字が見えます。砦を守った兵士の名前を刻んだものと言われています
万里長城第一敦
は、万里の長城の西の終点に当る場所です。万里の長城は総距離3千余キロと言われ、東は河北省の山海関に始まり、北京郊外を越え、山西省と寧夏回族自治区のある黄土高原を経て、ここ嘉峪関の郊外の北大河の絶壁で終わっています。北大河の絶壁の地下に展望台が造られており、ここに下りると断崖の上の万里の長城の終点や、北大河の流れや断崖を挟んで見る祁連山の素晴らしい眺めを堪能できます
魏晋壁画墓は、市の東北約20キロのゴビ灘の中に点在する壁画墳墓で、30年程前に発見されたばかりです。地下壁画レンガ墓で、魏・晋時代(紀元前200〜400年頃)のものとされ、現在までに1400ヶ所以上の墳墓が発見されています。とは言っても、ピラミットの様な大きな墳墓がある訳ではありません。ゴビ灘の中に馬俑が両側に並んでいて
、その奥に小さな小屋が建っています。実はこの小屋が地下墳墓への入り口なのです。常駐の案内人が地下墳墓に案内してくれます。煉瓦造りの狭い墓道を下ると墓室があります。墓室の壁の煉瓦には、単純な線で鮮明に描かれた壁画が、当時の生活の様子を伝えています

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[特記事項]

嘉峪関の観光について;嘉峪関の見所は、懸壁長城・嘉峪関城・万里長城第一敦・魏晋壁画墓につきます。嘉峪関はタクシー代が安いので、一日チャーターすれば、十分に観光できます。
列車の切符購入について;嘉峪関から次の目的地へ列車を利用する場合、寝台特急(軟臥)など指定切符の入手は難しいので、日程に余裕を持つ必要があります。私達は、嘉峪関で車をチャーターして「鎖陽城」「楡林窟」「安西市」を観光しながら敦煌まで行きました。走行距離は500キロ、チャーター料金は800元でした。
料理の特徴
羊肉を中心とした辛い味が中心です。主食は麺類。
代表的な料理:羊肉串(シシカバブー)。らくだのコブの軟骨や掌を使った料理も有名とか・・、勇気ある人はお試しを。
特産品:嘉峪石硯(すずり)=
懸壁長城に近い黒山峡で採れる石を使ったもので、1700年の歴史がある。鉄鋼産業がある。
少数民族:回族


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01