安西市がある辺りは、シルクロード全盛期は瓜(か)州と呼ばれ、敦煌に至る河西回廊の主要な道筋にあって栄えました。しかし現在は、中国を東西に横断する全長4967キロにも及ぶ国道312号線(上海と新疆ウイグル自治区伊寧市を結ぶ国道)が通るようになり、通過するだけの街となってしまいました。現在の安西市 は人口10万人程度の小さな街にすぎず、外国人が泊まれるホテルは、二つ星の安西賓館しかありません。というのも、主要な観光資源である「鎖陽城 」も「楡林窟 」も、敦煌からの一日観光コースとなっているからです。現在、鎖陽城と楡林窟を観光するのは、敦煌からツアーバスに乗って行くのが一般的となっています。
私達は嘉峪関で車をチャーター し、鎖陽城・楡林窟 等を観光しながら安西市を経由して敦煌まで、砂漠の道を丸一日かけて走破することにしました。満タンでスタートして、敦煌に着いた時はガソリンのメーターがE(エンド)を指していましたから、全走行距離は500キロを超ていた事でしょう。(左記ビデオボタンから、嘉峪関から敦煌まで、ゴビ灘(砂漠)500キロ走破の様子ををビデオ映像でご覧いただけます。)
では私達の走破ルートを紹介しましょう。ルートはこの星印 から出てくる地図の通りです。私達は水をたっぷり用意して早朝ホテルを出発 しました。車が市内を抜けると砂漠の中を走る国道312号線を西に向かってスピードを上げます。右手には嘉峪関城が見えてきます 。左手には雪を頂く祁連の山並みが朝日に映えます 。幾つかの小さなオアシス村を通り抜け て行く頃、道はだんだん悪くなり、ほとんど視界が利かない状態 になります。ゴビ灘です。この辺りは、世界有数の強風地帯となっています。風が砂漠の砂を吹き飛ばして出来る地形を「ヤダン地貌」と言いますが、甘粛省から新疆ウイグル自治区にかけて、大小の「ヤダン地貌」が形成されています。車窓からもこのような景色を度々目にします 。夏の昼間の気温は40度を超え、冬はマイナス30度にもなるとの事です。正に「極寒荒漠」の世界 が広がっています。玉門鎮で国道を離れ 、南西に方向を変えると、まもなく鎖陽城の入り口に着きます 。鎖陽城 は、嘉峪関から150キロ、安西から80キロの所にあり、唐代に繁栄した瓜州故城跡です。インドに経典を求めて、ひそかに長安を抜け出した玄奘三蔵は一旦ここ鎖陽城に入り、629年に西方を目指して出発したと伝えられています。唐の軍隊が西域に遠征した時、ここ瓜州の城に立て篭もって戦ったと言われています。食料が尽きた唐の兵士は、城内に生えていた鎖陽の草を食べて持ちこたえたと言う事から、後にこの城を鎖陽城と呼ぶようになったそうです。高さ10m程の城壁 に囲まれた鎖陽城は、500m四方に及び 、四隅には円形の物見台跡が残っています 。城壁の中には、今でも敵に向かって投げた小石が散乱し 、当時をしのばせてくれます。鎖陽城は今だ未発掘の状態で、周辺には瓶や瓦の破片が散乱しています  。
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