堀・船津の中国旅行記
鄭州 洛陽

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鄭州から西へ130キロ、長距離バスで3時間弱、夕方の洛陽バスセンターに到着しました。洛陽は「悠久の古都」とか「九朝の古都」と表現されますが、「悠久」とは5000年の歴史を有する古都を言い表し、九朝とは、漢・魏・西晋・北魏など歴代9の王朝があった古都である事を言い表しています。その表現が表すように、洛陽市とその周辺には中国歴代王朝の痕跡が数多く残っています。シルクロードの基点は長安(現在の西安)とされますが、洛陽と言う説も少なくありません。長安と洛陽は僅か400キロの距離にあり、長安は左京、洛陽は右京と呼ばれました。中国の仏教は洛陽をへて日本へ伝わりました。洛陽を通る道が仏教街道と呼ばれるのもこの為です。シルクロードから仏教街道につながった、東西を結ぶ古代幹線道路の要衝洛陽市の、現在の人口は615万人で、漢族を筆頭に回族・満州族・モンゴル族など32もの少数民族が住んでいるのも悠久の古都ならではの事でしょう。
洛陽の見所は沢山あるのですが、主な見所は、特に街の周辺に多くあります。効率良く観光するには車をチャーターするのが最適です。私達は、ホテルのベルボーイに交渉してもらいましたが、一日のチャーター料金は250元(小型車)と格安でした。有数の観光地らしく、ハイシーズンでなければ安い値段での一日チャーターも難しくはないようです。では、早速出発です。
関林廟ー西暦200年に漢王朝が崩壊し、魏・呉・蜀の三国が覇権を争う三国時代に遡ります。蜀の劉備の盟友「関羽」は軍神とたたえられた武将として知られます。身の丈9尺、蓄えた髭は2尺もあり、重さ50キロの青龍刀を持ち、汗血馬にまたがっていたと伝えられています。その関羽も、ついに戦いに敗れる時が・・。関羽の首は、敵国「魏」の曹操によって、ここ関林に手厚く葬られたとされ、その首塚は、境内の一番奥にありました。参拝者が一杯で写真を撮るのも大変な程でした。古代中国では皇帝の墓を「陵」と呼び、聖人の墓を「林」と呼んでいた為、関羽の墓、つまり「関林廟」と呼ばれるようになりました。魏の曹操が、武勇だけでなく義理堅いと評した事から、今でも商売の神様として、中国のみならず世界各地の中華街でも祀られる存在となっています。余談ですが、そろばんを発明したのも関羽とされます。
白馬寺ー仏教文化が頂点にあった北魏時代、紀元1世紀に創建された仏教寺院で、2000年以上の歴史を持つ中国第一古刹と称されます。経典を得るため天竺へと遣された迦葉摩騰と竺法蘭の二人の僧が、数年後天竺より「四十二章経」と釈迦像を白馬の背に乗せて持ち帰ったという伝説から白馬寺と呼ばれています。
下のをクリックすると遊覧船から眺めた奉先寺盧舎那仏等が動画でお楽しみいただけます。 動画下のをクリックすると全画面表示でご覧いただけます。

山門の両側には、2頭の白馬の石彫があり、境内には二人の高僧の墓があります。最盛期には3000人の僧を有していました。その後度々の戦火で消失し、現在の建物は明代に再建されたものですが、山門から奥の大雄殿まで一直線に並んだ建物や左右対称の造り(伝統的な四合院形式)が往時の姿を残しています。白馬寺の西側300m程の所には尼寺があります。ここに1175年に建立された13層の斉雲塔が建っています。
龍門石窟
は、敦煌莫高窟
と大同雲崗石窟と並ぶ、中国三大石窟の一つです。5世紀末、北魏王朝の都が現在の山西省大同から洛陽に遷都され、それに伴い大同の雲崗石窟に代わるものとして、龍門石窟の造営が始まったとされます。北魏から唐代に至る4〜500年の間に作られた仏像の数は10万体に上るとされています。
始めに歩き方を概略説明しておきましょう。(ここをクリックすると龍門石窟の地図が開きます)洛陽から南へ20キロ、黄河の支流「伊河」の畔にあります。入口
付近の伊河に架かっている巨大な石橋が龍門橋です。この伊河の西側、つまり入口から続く道が、石窟群があるメイン道路で石窟群は約1キロにわたって続いています。山側の崖はまるで蜂の巣のように無数に洞があいていて、その中に沢山の石仏があります。石窟を見ながら一番奥まで進むと漫水橋があります。この橋を渡って伊河の東側の道を龍門橋の方に戻っていくと東山石窟群香山寺白居易墓園などがあります。入場料80元には、東側も含んでいますから、時間があれば見物すると良いでしょう。私達は、奉先寺の下の桟橋から出ている観光船(20元)に乗って、龍門橋近くの桟橋まで遊覧しました。観光船から見る「奉先寺盧舎那仏」の遠景や、両岸に広がる龍門石窟のパノラマを楽しむ事ができます。上段のから遊覧船から眺めた奉先寺盧舎那仏等が動画でお楽しみいただけます。
龍門石窟の中で最大の見所は高さ17mもある「奉先寺盧舎那仏
です。龍門石窟造営の絶頂期、675年に完成したものです。自らを弥勒仏の生まれ変わりと称した唐の則天武后をモデルにしたとされます。中尊を挟んで、右側に迦葉像(弟子)と文殊菩薩像、左側には・阿難像(弟子)と普賢菩薩像が配置され、更にその外側には、北壁(右)と南壁(左)に天王像と金剛力士像が配置されており、どれも見ごたえがあるものです。この奉先寺大仏の完成から80年後の745年に開眼供養会が行われた奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)は、奉先寺の盧舎那仏がモデルになっているのです。その他にも見所は沢山ありますが、全てを書く事は出来ませんので、主な見所を下枠内に箇条書きにまとめておきます。


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西山石窟群
(入口に当たる北側から南に向かって記載)
潜渓寺洞=第20窟 潜渓寺主佛阿弥陀

賓陽三洞=北魏の宮廷生活を描いたものとされ、北魏から唐代初期の造営。北洞、中洞、南洞と3つの仏像がある。第104窟北洞の主尊「阿弥陀佛」
・第140窟中洞の主尊「釈迦牟尼」・第159窟南洞の主尊「阿弥陀佛」
敬善寺洞=初唐の代表的な石窟。656年-669年に完成。第403窟力士像

摩崖三仏
=唐末期武宗(在位840年-846年)時代の造営。 
萬佛洞=唐の高宗時代の造営、龍門石窟最盛期の造営。高さ数十センチ程の小さな仏像が無数にあり
、その数は15000と言う。第543窟本尊阿弥陀仏
蓮花洞=龍門の初期、北魏時代の代表的な石窟で512〜528年頃に完成した。第712窟天井に直径3メートルを超える彫りの深い、大きな蓮の花のレリーフがある
。主尊「釈迦牟尼立像」
奉先寺=前述参照。
古陽洞=龍門で初めて開削された石窟で「竜門第一窟」とも呼ばれている。第1443窟

その他、火焼洞、薬方洞などがあります。
東山石窟側(南から北に向かって記載)
東山石窟群=仏像等はほとんどが壊れており、見るべきものは少ない。
香山寺
=白楽天が晩年を過ごした所で、その墓も残っている。
白居易墓園=唐代の詩人白居易の墓。
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<洛陽から西安経由で、空路九賽溝へ向かった>
洛陽発09:26(出発遅れ)
〜k617次(運賃48元)〜西安着14:07。西安空港発19:00〜FU2243便〜九賽溝空港着20:05。この続きは、九賽溝をご覧下さい。

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[特記事項]
その他の観光地:洛陽博物館
=1927年に開館した中国の代表的な博物館の一つ。伝説上の動物「壁邪」と唐三彩が見所
宿泊したホテル:洛陽牡丹大飯店 4星級
門票(入場券):関林廟30元、白馬寺35元、龍門石窟80元(含、東山石窟・香山寺・白園)、龍門石窟遊船20元。洛陽博物館20元。なお、60歳以上の入場料は、外国人でも半額になるところもありますから、門票売り場の料金表示を確認して下さい。パスポート等を提示すれば半額になります。
代表的な料理:洛陽水席=唐の時代から伝わる洛陽伝統の宮廷料理。則天武后が得に好んだとされます。20数種類の料理が、水が流れるように、次々と出てきては下げられることから「水席」と呼ばれているそうです。
特産品:洛陽は牡丹の名所で、4月下旬頃に牡丹祭りが開かれています。


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.R.HORI & Y.FUNATSU
公開日: 2002.08.10 更新日2013.03.01